『仁王くん、雪だよ!』
起き抜けにタイトル「おはよう」で始まったメールを開くと、すぐにの嬉しそうな笑顔が目に浮かんだ。
携帯を握ったままカーテンを開く。
大振りの雪が周りの音をのみ込みながら降りしきっていた。
『、今日一緒に帰らんか?』
帰りまでには積っていそうだな、と思いながらメールを打つ。
さすがに冷え込んで、指が少し動かしにくかった。
は寒さよりも雪の降った嬉しさが勝っているんじゃろな。
『うん! 一緒に帰ろう。じゃあまた学校でね』
返事はすぐに返ってきた。
断られるんじゃないか、と内心不安だったので、思い切り頬が緩む。
『はしゃぎすぎて転ばんようにな』
半分以上本気でそう返し、携帯を閉じる。まだ雪は降っていなかったが、いつかもこんなやり取りをしたな、と思い出して愉快な気持ちになった。
もう一度窓の外に目を向けると、三月の雪は堂々と降り続けている。
雪の中で迎える卒業式ってのも、風情があってなかなか悪くない。
教室に入るとはもう自分の席に座っていた。
前の席の星谷と楽しそうに話していたが、俺に気づくと控えめな仕草で手を振ってきた。
俺も軽く振り返してから席に向かう。
いよいよ卒業する日だけあって、喧騒にあふれた教室の雰囲気もいつもと少し違う。
席について斜め前のの後ろ姿を見遣る。
こうやってここからを眺めるのも今日で最後かと思うと、名残惜しかった。
卒業式は滞りなく過ぎていった。
卒業とはいってもそのまま高等学校に上がるやつが大半だから、他の中学より大分ゆるやかな雰囲気だろう。
何人かのすすり泣くような声も時々聞こえるが、頭を揺らして寝ているやつもかなり多い。
たまにの方を見ると、当然のように真面目に聞いているようだった。
ただ時々、首元に手を触れていた。
「」
「仁王くん!」
全てが終わり、人がごった返す校門の近くで、ようやくの姿を見つけた。
傘もいらないほど小さくなった雪がはらりはらりと降る中で、が卒業証書の筒を振って小走りに駆け寄ってくる。
「卒業おめでとう」
きれいにタイミングがあった。
お互い笑いだしながら、改めて向かい合う。
「さっき、テニス部を見に来てた二年生のコたちがお祝いを言いにきてくれたよ」
前にに謝りに来た二人のことだろう。
が本当に嬉しそうにするのでこっちも笑顔になる。
「仁王くんにもおめでとうって伝えてくれ、って。直接言ってあげた方が、って言ったんだけど……」
「いや、十分じゃよ。伝えてくれてありがとうな」
とあの二人のやり取りが目に浮かぶようだ。
高等学校に入ったら案外いい先輩後輩になるかもな、と想像して微笑ましくなる。
「もう帰れるんか?」
「あ、ごめん、ちょっと待って」
友達と写真を撮ったり後輩に祝われたりと、卒業式の後は忙しない。
周りも大分落ち着いてきたようだが、は誰かと約束でもあるのだろうか、辺りをきょろきょろと見回している。
つられて俺も見回したときにこっちに向かってくるやつの顔を見つけて、あいつか、と納得した。
「久しぶりだな」
ゆっくりと近づいてきた智也は、以前では考えられないほど穏やかな表情をしていた。
が家を訪ねてからはまた学校に来ているようだったが、俺が顔を合わせるのは階段から突き落とされて以来だ。
「智也、卒業おめでとう」
「ああ。そっちもおめでとう」
も智也も落ち着いた雰囲気で微笑み合う。
に話を聞いてから心配はしていなかったが、確かにもうお互い関係はすっきりしたようだ。
少しの沈黙の間も小さな雪がやわらかく舞う。
「俺、滑り止めの高校に通うことになったんだ。……それから今度は、大学受験で頑張るよ」
気落ちしているというのではない、穏やかな声音で智也は言った。
微笑みの深まっていくの表情は、少し泣きそうにも見えた。
智也がこうして前向きになれたのもの心と言葉があったからだろう。
こいつには随分な目にあわされたが、良かったな、と俺も心から思える。
「……うん! 頑張って。智也ならできるよ」
「ああ。ありがとう。お前がもう横にいないのは本当に残念だけどな」
その言葉にが少し戸惑ったような顔をした。
智也はわかっている、という風に苦笑する。
「それから仁王、……色々と悪かったな。お前にも迷惑を掛けた」
さっきの言葉についひやりとしてしまって二人から視線を外した直後、智也は俺に向き直った。
静かな謝罪の言葉と共に、深く頭を下げられる。
『智也は反省してくれると思うから』、『仁王くんにもちゃんと謝ってくれると思うんだ』、いつかの言葉を思い出す。
さすがの言葉は詐欺師の俺と違い、嘘にはならなかった。
詐欺師の俺も、との約束はもちろんきちんと果たす。
「ああ。もういいぜよ。高校でも頑張りんしゃい」
顔をあげた智也がありがとう、ともう一度頭を下げ、それから「ちょっと耳を貸してくれないか」と尋ねてくる。
ええけど、と近寄ると、不思議そうな顔をしているに聞こえないようにこう言ってきた。
「のこと、よろしく頼むよ。こんなこと言える立場じゃないけど、俺が傷つけてしまった分まで幸せにしてやってくれ」
智也の言葉を聞きながら、思えば不思議な縁だな、と思う。
もしが智也に振られていなかったら。そもそも智也と付き合っていなかったら。
俺とは、いまこうして近くにいなかっただろうか。
……いや、きっと、遅かれ早かれこうなっていただろうと、そう思える。
けれどこの冬をと過ごせたのは、きっとこいつのおかげなのだろう。
同じ女を好きになった男に、俺は拳を差し出す。
「任せておけ」
智也は少し不思議そうに拳を見つめた後、ああ、と微笑みながら自分の拳を突き合わせた。
「やっと雪が降ったね」
平日の日中だからか、それとも雪が降っているからか、今日の帰り道はいつもより静かだった。
今は粉雪ほどに落ち着いているが、式の間も降り続き道には薄く積っていた。
「ああ。随分のんびりしとったみたいじゃの」
もう春だというところで降るのだから、気まぐれなものだ。
がほんとだね、と同意しながら自分の手に息を吹きかけた。
「手袋、忘れたんか?」
「そうなんだよねえ。手袋もマフラーもしまっちゃってたから」
「そうか。……俺も手袋、ないんじゃけど」
「うん? わっ!」
手を繋ぐ口実にしようと切り出したところで、は見事に足を滑らせた。
前のめりに倒れそうになったを慌てて抱きとめる。
まったく、本当に目の離せんやつじゃ!
「大丈夫か?」
「う、うん。ごめんね、ありがとう」
倒れそうになった瞬間、の首元からこぼれたきらめきに目が留まる。
式の間触れとったのはもしかしたら、と思っていたがどうやら期待通りだったらしい。
「……それ、つけてきてくれたんじゃな」
「もちろん! 今日ほど相応しい日はないと思うよ」
俺の視線の先をの指がたどり、小さな雪の結晶に触れた。
なんだかくすぐられているような、少し気恥ずかしい気持ちになる。
けれど素直に嬉しかった。降る雪も小さく光る結晶も、祝福のように思えてくる。
今なら全てがうまくいくような。
「……手、繋いでもよか?」
「え?」
「また転ばんようにな。その方が温かいしのう」
……ああ、ダメじゃのう、俺は。
ただ繋ぎたいから、と言えばいいのに、変に理由をつけてしまった。
それでもは顔を赤くして少しためらった後、小さく頷いた。
「サンキューな」
「……こ、こちらこそ」
一度普通に繋いだあと、指を滑らせるようにこっそり恋人繋ぎに変えた。
……こっそりもなにもないんじゃけど、は抵抗しなかった。
冷え切っていたはずのお互いの手があっという間に熱に染まっていく。
しばらく無言で、互いに顔を明後日の方に向けていた。
細い雪だけがからかうでも煽るでもなく、ただやさしく降りしきっている。
「仁王くん」
もうすっかり聞き慣れたの声が沈黙をそっと破るように響く。
ん、と短く返事をしての方を向くと、少し熱っぽい目がまっすぐに俺をとらえた。
「私、私ね……」
の声が、瞳が、白い静寂の中で俺の鼓動だけを急かしていく。
音もなく時も止まったような世界で、俺たちは二人きりだ。
震わせるようにゆっくりと開いていくの唇に、ふわりと雪が触れた。
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手を繋いで帰る雪の道 11.2.20