自分の心音だけが聞こえてくる静寂の中、の唇から吐き出される白い息を見つめる。
繋いだ手から脈の速さがバレてしまうのではないかと思いいたる間もなく、はそっと言葉を紡いだ。
「高校に入ったら、テニス部のマネージャーをやろうと思うの」
「……なに?」
「なに? って、ひどいなあ。私にマネージャーなんて務まらないと思ってる?」
「いや、すまん……そういうつもりじゃないんだが、ちょっと驚かされてのう」
「ほんと? やった、仁王くんを驚かせるなんて滅多にできないよね」
「何を喜んどるんじゃ。それよりどういうことか説明するナリ」
ほとんど自動的に受け答えしながら、なんだかどっと力が抜けた。
……告白、をされるのかと確かに期待してしまっていたから変な反応をしてしまったが、がテニス部のマネージャーになる、と改めて認識すると急に心が躍った。
それにしても、俺は結構な回数には驚かされているが、どうやら本人に自覚はないらしい。
「自分でも知らなかったんだけど、私テニスを見るのがすごく好きだったみたい」
「ああ、ずっと熱心に見とったからの」
コートの中から盗み見ていたフェンス越しのは、楽しそうだったり真剣な表情だったり、本当に夢中な様子だった。
テニス部を見にくるやつらは大体誰かのファンだったから、みたいなのは珍しかっただろう。
「……最初はその、辛いことを考えたくなかったから見ていただったんだけど」
は気を悪くしたらごめん、と謝ってくる。
気晴らしだったのは百も承知だ。というか、もともと気晴らしになれば、と誘ったのは俺だ。
謝ることはなんもない、と答えると、安心したようにありがとう、と返ってくる。
「テニスを見ていたら、本当にその間は他のことを考えないで済んだの。それに気づいて、びっくりして……。それからただ単純に、テニスってすごい、って思ったんだ」
はそこに黄色いボールが飛び交っているかのように空を見上げた。
俺もつられて見上げるが、もちろん今舞っているのは白い雪だ。
「全然興味がなかったのに、今じゃテレビでやるテニスの試合も欠かさず見てるんだよ。笑っちゃうでしょ」
確かに俺は少しだけ笑ったが、それは可笑しいから、という意味ではなかった。
照れたように話すを見ていると微笑ましかったし、何より俺が夢中になっているものをが好きになってくれたことがものすごく嬉しかった。
「それにね、本当はこれが一番の理由かもしれないんだけど……」
首元の雪の結晶に触れながら、は真剣な表情で俺を見た。
「私、仁王くんの役に立ちたい。仁王くんは私のこと、たくさん助けてくれたよね。今度は私が仁王くんのことを助けたい」
俺たちの通ってきた道をたどるように一歩一歩、丁寧にゆっくりと歩きながら、は語尾を震わせて白く細い息を吐く。
「……仁王くんの近くに、いさせてくれないかな」
はにかむように微笑むのまつげに雪が落ちて、きらきらと輝いていた。
目の奥が熱くなる。
泣きそうなのを悟られないように、舞い落ちる雪のせいにしようと、ほんの少し上を向いてからに向き直る。
「もちろんじゃ。……、俺の傍にいてくれ」
嬉しそうに頬を赤く染めるの手を、少しだけ力をこめて握り直す。
好きだ、とは、好いとうよ、とはまだ、心の中で告げるだけにしておく。
役に立ちたいとか、助けたいとかではなく、俺みたいにただ傍にいたいと思ってくれるまで。
それまではもう少し、このやわらかくて温かい関係を大切にしていこうと思う。
「ねえ、仁王くん」
「なんじゃ?」
寒さも感じさせない穏やかな沈黙のあと、がとびっきりの笑顔を見せる。
「高校でも、同じクラスになれるといいね」
頬に触れた雪をそっと溶かすその温かな笑顔を、俺はこの先もずっと、傍で見ていたい。
にもそう望んでもらえるといい、そう思いながら微笑みを返す。
「ああ、そうじゃな」
きっと焦ることはない。
繋いだ手から少しずつ温もりが拡がるように、俺たちはそうやってこの冬を過ごしてきた。
歩くよりも、もっとゆっくりな速度で。
春の芽吹いていく音が、聞こえてくるような気がした。
アダージョ 春の芽吹く速度
「……って、そこでくっつかねーのかよ!」
「あーあ、マジかよ、俺仁王先輩ってぜってえ手ぇ早いと思ってた……」
「俺も、ここまでのんびりしてるとは思わなかったな……」
ぎりぎり二人の会話が聞こえる距離で、俺と赤也とジャッカルは仁王たちの様子を見守っていた。
すんっげぇゆっくり歩くもんだから足音を消してついていくには苦労しなかったけど、思わず大声でつっこみそうになって全力の小声で叫ぶ。
「俺は幸村君の賭けた方に乗っかっといてよかったぜ」
肩を落として嘆く赤也とジャッカルを尻目にガムを膨らませる。
途端、赤也とジャッカルが目と口をがっと開くので慌てて人差し指を立てて大声を出さないよう注意した。
「丸井先輩それずりー!」
「ていうか幸村も参加してたのかよ」
赤也が小声で叫び、ジャッカルが低い声で驚く。
仁王とが卒業までに付き合うかどうか、俺たち四人は賭けをしていた。
付き合う方に赤也とジャカルが、そして付き合わない方に幸村君と俺が。
「……幸村君は、こう言ってたぜ。『彼女が高校のテニス部に来てからの方が、なにかと楽しそうだからね』ってな……」
「げ……あいつ、どこまで読んでたんだ?」
「怖ぇー……」
三月ってのに今日は雪が降ってただでさえ寒かったのに、なんだか余計寒くなって俺たちは身を震わせた。
仁王たちの方に視線を戻すと、相変わらずあそこだけ春みたいな空気をまとっている。
まだ火傷するほどじゃねーし、暖でもとらせてもらいたいくらいだ。
「よーし、お前らのおごりでメシでも食いに行こうぜぃ」
「ジャッカル先輩、ごちっス!」
「おい待て赤也、お前も負けただろうが」
あとは本当に二人きりにしてやって、俺たちも暖かい場所でこれからのあいつらの話でもしよう。
「次はいつになったらあいつらが付き合うのか賭けようぜ」
「はいはーい! 俺春中だと思うっス!」
「じゃあ俺は夏までだな」
「ふーん。じゃ、あとは幸村君にも聞いておくから」
「って、ずりーっスよ、丸井先輩!」
「そうだぞ、ブン太」
「ま、気にすんなって。それより本当にあいつらがくっつくように作戦会議もしてやんねぇとな」
「楽しそうっすね、それ! 俺いつでも高校の校舎遊びに行くっすよ!」
「おいおい、真面目に考えてやれよ」
仁王たちとは反対方向に歩き出しながら、一度だけ振り返る。
いつの間にか雪がほとんど止みかけている。
両手でハートマークを作り、小さくなった二人の後ろ姿をそっと囲んでみた。
「ブン太、置いてくぞ」
「おぅ、いま行く!」
最後の雪が鼻先に溶けて、ふと春の匂いを感じた。
end.
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賭け/罰/楽しむ 11.2.25