「おい仁王、大変だ!」

昼休みに教室でジャズの雑誌を捲っていたら、唐突に丸井が走り寄ってきた。

「なんじゃ、騒々しいのう」

顔をしかめながら丸井を見ると、だが本当に真剣な表情をしている。
もしかしたらにまた何かあったのか、とひんやりする。
嫌な感じで心臓が騒ぎ出したところに、丸井は耳打ちするように言ってきた。

が告白されてる」

……。なに?


一体俺はどうするつもりなんだろうか。
そんなことを考える間もなく駆け出していた。
が呼び出されたという音楽準備室の前に立ち止まる。
人のいる気配はするが、まさか乗り込めるはずがない。
走ったせいではなく息が切れているのを自覚しながら、すぐ隣の音楽室に滑り込む。

音楽室と音楽準備室を繋ぐ扉はわずかに開いていた。
扉の陰に足音を忍ばせてしゃがみ込む。
呼吸の音がしないように気をつけて息を整えながら、神経はほとんど隣の部屋に向いていた。

「じゃあ、オッケーなのか?」

小さくだが、確かに声が聞こえてくる。同じクラスの上遠だ。
暴れる心臓を止めるようにぐっと胸元を掴む。
苦しい。ひどく胸が痛む。
遅かったのだろうか、絶望した気分でそう思うが、もう少し早く来たとして俺に何ができたというんだろう。

「もちろんだよ」

それは紛れもなくの声で、あの温かな笑顔が思い浮かぶ優しい声音だった。
鼓動は落ち着いてきたが気持ちも果てしなく落ちていった。
覗き見のような真似をして、振られたも同然で、俺はいったい何をしているんだ?

「サンキューな」

微かに衣擦れの音がした気がした。
中で何が行われているか、など想像したくもなかった。
俺が一度ではなく触れてみたい、と思った唇が触れられているのかもしれない。
抱きしめたい、と思った身体が抱きしめられているのかもしれない。
黒く滲むような嫉妬と、青く冷えるような悲しみが手で掴んだままの胸中を渦巻く。

「……仁王くん?」

ひどく気分が悪くて吐き気までするようだった。
座り込んだまま目を閉じて意識して呼吸を何度か繰り返しているときになぜかその声が聞こえてきた。

「大丈夫!? どうしたの? どこか具合が悪いの!?」

扉から陰にいる俺を覗き込んでいたが必死な様子で詰め寄ってきた。
その心配そうな顔が泣きそうにすら見えて、俺はどうしたらいいのかわからなくなる。
のせいだなんて言えない。
俺はにはもう泣いて欲しくないはずだ。

「いや、大丈夫ナリ。……良かったのう、
「え……?」
「新しい彼氏ができたんじゃろ? 上遠は結構いいヤツじゃからな」

俺に合わせてしゃがみこんでいたの目が丸くなる。
俺が聞いていたとは思っていなかったのだろう。
そのことならなんとでも誤魔化せる。
それよりも先に言いたいことがあった。

「だがまた泣かされそうになったら言いんしゃい。俺が絶対なんとかしちゃる」

の新しい恋路がうまくいくのを見るのは辛いが、が泣いているよりはずっといい。
ひょっとしたら傍にいるだけで邪魔になるのかもしれない。
それでも俺は、が拒絶しないのならできるだけ傍にいたかった。

「ちょっと待って、何のこと?」
「とぼけなさんな。いま上遠に告白されて、オッケーしとったじゃろ」
「こ、告白!?」

……おかしい。
俺はそこでようやく、何かがおかしいぞ、と気づく。
俺はひょっとしてとんでもない勘違いをしているんじゃないか?

「告白なんかされてないよ! 今はただ、次の音楽の準備を任されただけで」
「……何?」
「私と上遠くん、今日日直だから。でも部活の用事があるから私に任せていいか、って頼まれてたの」

あまりのことに声が出なかった。
の傍らにふと視線がいく。
授業で使うのだろう、紙の束が置かれていた。たぶんこれが衣擦れの正体だ。
やってしまった、驚きの後には恥ずかしさが遠慮なく襲いかかってくる。
思いきり俯いて思わず手で顔を覆う。

「仁王くん!? 大丈夫? やっぱりどこか悪いんじゃ……」

の心配そうな声に言葉もなく首を振るうのが精いっぱいだった。
だが恥ずかしさより何より、一番強く感じているのは間違いなく安堵だ。
深く長く息を吐き、指の隙間からを覗く。
弱々しげな表情と目が合った。

「っく、くっくっく……」
「に、仁王くん?」

可笑しい。本当に俺は、とんだ道化だ。
ここまで余裕がなくなって、そしてここまで安堵するとは。
まさに一喜一憂、普段は穏やかな気持ちをくれるけど、ここまで俺の感情を動かせるのもくらいなものだろう。

「なんでもなか。準備俺も手伝うナリ、
「ダメだよ、どこか悪いなら休んでなきゃ」
「もう治った。お前さんのおかげでな」
「え?」

はきっと俺の気持ちを何も知らない。
今はまだ全てを内緒にしておこう。
確かに感じた嫉妬も、悲しみも、痛みも。
に謝りにきた二年の女子たちを思い出す。
俺の中にも当然のように存在する負の感情も、の前でならきっと全てをさらけ出せる。
今日の勘違いも笑い話としてしてやることができるだろう。

「心配してくれてありがとうな」

きょとんとした顔で俺を見るの頭にそっと手を伸ばす。
全てをさらけ出すときにはもちろんまず、を好きだというこの気持ちを真っ先に伝えるのだ。



「あの仁王の焦りっぷり、まじ面白すぎるぜぃ!」

と上遠が日直で音楽準備室に二人きりで向かったのを利用して、俺は仁王に軽く嘘を吐いてみた。
普段の仁王の詐欺に比べたら可愛いもんだろぃ。
だが対仁王に至っては効果抜群も抜群、あいつがあんなに慌てる姿なんてそうそう見れたもんじゃねえ。
俺は仁王が焦り顔で走って行ったのを見届けた後、こらえていた笑いを解放して爆笑した。

「でもあいつら、マジでいい雰囲気だな……」

その後俺も仁王を追って音楽室の前まで来ていた。
当然、こんな面白いことを最後まで見届けねえ訳にはいかなかったからな。
途中廊下でジャッカルを見つけたからついでに引っ張ってきてやった。
そのジャッカルは音楽室の中を扉の隙間から覗き込みながらため息を吐いている。

「でもよー、さっきまでの仁王の落胆っぷりはほんと凄かったよな」

完全に勘違いしていたらしい仁王はしゃがみこんだまま絶望的な顔をしていたのだ。
ここからじゃ準備室の中の会話までは聞こえなかったけれど、たぶんちょうど仁王がさらに勘違いするような話でもしてくれていたんだろう。

「アイツ、それだけに本気なんだな」
「そんなの誰の目から見てもわかるだろぃ。気づいてないのは当の本人だけ、ってヤツなんじゃねえの」

はたぶん、仁王の気持ちに気づいてない。
今まで接点がなかった分、が自分が興味のないものに対する仁王の無関心っぷりをあんまり知らないから、っていうのもあるだろう。

「でもこれで仁王も告白する気になったんじゃねえの?」
「そうか? 俺はまだ早いんじゃねえか、って気もするんだが……」
「ま、アイツらはのんびりしてんのが合ってる気もすっからな。これからも温かーく見守ってやろうぜ」
「おいブン太、あんまり変な横槍は入れんなよ」
「わかってるって。さっきの仁王の落ち込みっぷりを見てさすがにちょっと反省したぜぃ」
「その割には顔が笑ってっけど……」

そりゃ笑わずにはいられない。写真に撮っておきたかったぐらいだ。
キレられたら面倒だからやんねーけど。

「真面目な話、あいつら見てるとなんかこっちまで良い気分になってくるからな。にはシュークリームも御馳走になってるし、あいつらには幸せになって欲しいと思ってるわけよ、俺は」
「シュークリームはともかく、それは俺も思うけどな。仁王がここまで入れ込むのって珍しいしよ」

ジャッカルのツルツルな頭の上から音楽室を覗き込むと、二人はなんだかにこにこ微笑みあいながら授業の準備を始めた。
扉にも近づいてくるかもしれないので、ここら辺でそっと場を離れることにする。

「あー、でもやっぱあの仁王は面白すぎだろぃ!」

音楽室を離れてから仁王の慌てっぷりやら落ち込みっぷりやらを思い出してまた笑いがこみあげてきた。
やべえ、このネタで絶対しばらく笑える!

「ほどほどにしとけよ……フッ」

って、お前も笑ってんじゃん!
とつっこもうと思ったが、笑いすぎてその余裕もない。
ほんとにあいつらは見ていて飽きないな、とそれから妙にしみじみと思った。


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20.焦る/ないしょ/爆笑  09.12.27