が次に学校に来たのはあいつらと直接対決してから数日後のことだった。
やはりあの後熱が出てしまったらしい。
メールで連絡は何度か取り合っていたが、思ったより元気そうで安心した。
『いいともに福山雅治が出たよ』と珍しく絵文字つきではしゃいだメールが来たときは思わず苦笑してしまった。
だがその下に『早く仁王雅治くんにも会いたいです』と書いてあるのを見たときは、正直に言おう、思わず席から立ち上がってしまった。まだ授業開始前だったのが幸いだ。
冗談にしてもこれは参る。恐らく駆け引きではなく天然だろうけれど。
事件の解決については『本当にありがとう、改めてお礼するね』とらしいメールが返ってきた。
申し訳なさそうな顔をして文字を打つの姿が思い浮かぶ。
気にするな、と言ってもの気が済まないのだろう。
とりあえずゆっくり休みんしゃい、と言うと『はーい』と素直な返事が届いた。
数日後の朝、はテニス部の朝練を見に来ていた。
鞄も持ったままだから今日は直接来たらしい。
フェンス越しに手を振る姿に気付けば駆け寄っていた。
「おはよう、仁王くん」
「おはようさん。体調はもう大丈夫なんか?」
「うん、もうすっかり良くなったよ」
そうやって微笑む表情もいつものやわらかさで、気分も悪くなさそうだった。
こうやって元気な姿を直接見るとやっとひと安心、といったところだ。
「お、、もう風邪は治ったのか?」
「おはよう。元気そうだな」
「おはよう、丸井くん、柳くん。うん、すっかり元気になりました」
わらわらと柳と丸井が集まってきた。
コートを振り向くとやはりこっちに来ようとしたらしい赤也の首根っこを真田が捕まえている。
隣で幸村が笑っているので俺たち三人のことは大目にみてやれ、とでも言ってくれているのだろう。
「この前は本当にありがとう。迷惑掛けてごめんなさい」
は俺たち一人一人と丁寧に目を合わせて、深々頭を下げた。
いいっていいって、気にするな、と丸井と柳が声を掛けると、はまだ少し申し訳なさそうな顔で、でも笑顔を見せてくれた。
「寒くなか? 調子が悪くなったら無理しちゃいかんぜよ」
「大丈夫。テニス見てたらきっと熱くなるよ。部活がんばってね」
ちら、とコートに目を向けるは自分が部活の邪魔をしていないか気にしているんだろう。
応援の言葉ももらえたし、の笑顔も見れた。
丸井や柳とフェンスの前を離れて歩きながら伸びをする。
今日はなんだか良く身体が動きそうだ。
「ちゃん、二年生の女の子たちが呼んでるよ」
「え? ……うん、ありがとう」
友達に休みの分のノートを写させてもらっていると、そう声を掛けられて急に緊張した。
入口に目を向けると扉から少し離れて女の子が二人立っている。
この前バケツを持って先に待っていた方のコたちだろう。
仁王くんを振り向きそうになったけれど、なんとか思い留まる。
今はもうこれ以上迷惑を掛けちゃいけない、とかそういう考え方はあまりしていなかった。
彼女たちの様子は私と同じように緊張しているようで、今なら対等に話が出来るんじゃないかと思ったのだ。
「私のこと、呼んだ?」
そのコたちは俯いたまま、なかなか顔を上げない。
すぐ後ろは教室だ。ここでは言いにくいのかもしれない。
場所を移した方がいいのだろうか。
そう思ったけれど、恐怖心が蘇ってとても提案できない。
「に何か用か?」
少し身体が震えてしまったときに、ふっと包み込むように影が落ちた。
さっきまでの恐怖が払うように消え去って、安心感が戻ってくる。
私の後ろから扉に手を掛けた仁王くんが少し背中を曲げるようにして傍に立ってくれていた。
「ち、違うんです! 私たち、先輩に謝ろうと思って……」
焦ったように顔を上げた二人の声が段々と小さくなって、また俯いてしまう。
「……場所、移そうか?」
私はやっとそう声を掛けてあげることができた。
仁王くんは人気のない場所に詳しいらしい。
彼女たちから遠ざけるように隣を歩いていてくれた彼の案内でたどりついたのは、来たこともないような埃臭い踊り場だった。
辺りには休み時間の喧噪などまったくなく、しんとしている。
「あ、あの……ごめんなさい!」
立ち止まって向かい合うとすぐに、彼女たちは大きな声でそう言って勢い良く頭を下げた。
「私たち、ずっと仁王先輩のファンで、それで先輩がすごく仲が良いみたいで、羨ましくて……」
「それであんなことしちゃったんです。ごめんなさい。こんなことしちゃいけないって思ったけど、あの三人に逆らうのも怖くて……」
彼女たちは洗いざらい、自分の思っていたこと、感じていたことを話してくれた。
それは誰にでも、もちろん私の中にもある感情だった。
でもそういう負の部分を認めて、こうして謝るのはすごく勇気のいることだろう。
泣き出してしまいながら話をする彼女たちはとても傷ついているように見えた。
「コートもちゃんと弁償します。お医者さん代も。だから、その……許してくれなんて言えませんけど、でも、本当に、ごめんなさい!」
そう言ってまた、二人は床につきそうなほど深く頭を下げた。
私はというと、なんだかこっちまで泣きたいような気持ちになっていた。
もらい泣きの感覚もあるし、彼女たちの気持ちが嬉しくもあったし、自分の存在が彼女たちをここまで追い詰めていたことがショックでもあった。
「二人とも頭を上げてください。いいよ、全然大丈夫。弁償も何もいらないよ。こちらこそ嫌な気持ちにさせてしまって、ごめんなさい」
自分の何気ない行動が誰かを傷つけてしまう。
誰も傷つけずに生きていくのは、きっとすごく難しいことなのだろう。
でもこうやって謝ったり、相手を尊重してわかりあえることだってできるのだ。
私はそれを今、彼女たちから教えてもらった。
「ゆ、許して……くれるんですか?」
「許すも何も、私は最初から怒ってはいないよ。ただ怖かっただけだから。でもこうして話してくれたから、今は怖さもなくなったよ。ありがとう」
「あ……ありがとう、ございます」
彼女たちは両手で顔を覆い、泣きながらそう言ってくれた。
仁王くんをそっと見上げると、眉尻が下がってはいるけれど微笑んでいてくれた。
「私たち、もうテニス部は見に行きません。でも、その……来年、高等部に上がったら、また見に行ってもいいですか?」
二人が恐る恐る仁王くんを見上げて尋ねる。
仁王くんも誠意を見せてくれた彼女たちの願いを無下に断るような人ではないだろう。
「がいいんならよか」
「え、私? もちろんいいよ。……って、私が許可するのも変だと思うんだけど」
安心して答えを待っていると、急に話を振られて慌てて返す。
仁王くんがははっ、と声に出して笑うと、二人も涙を拭きながら遠慮がちに笑った。
笑われたのは私だと思うんだけど、それが嬉しくて自分でも笑ってしまった。
「……ねえ仁王くん、私もテニス部、見ていてもいいんだよね」
彼女たちがぺこりと頭を下げながら去っていくのを手を振って見送って、私は仁王くんにそう尋ねていた。
テニス部を見ていたい、というのは私のエゴだ。
けれど今回、そのせいで傷いたコがいたのを知ってしまった。
それでも私はテニス部を見ていたかったし、それが許されないことではないと信じたかった。
それから仁王くんと友達でいることをやめたくなかった。
彼の傍はとても居心地が良くて、温かい。
他でもない仁王くん本人に拒絶されないのなら、私は彼という存在を離れたくないと思う。
「当然ナリ。もしがもう見に行かないって言い出したら、……そうじゃな、俺は泣くかもしれん」
「ほんと? ちょっと見てみたいなあ、仁王くんの泣き顔」
仁王くんの軽口に心もすっと軽くなる。
仁王くんはお前さんも言うようになったのう、と苦笑しながらぽんぽんと私の頭を撫で、「いつかな」と静かに呟いた。
「あれ? 来てねえじゃん。仁王、あいつらはもう来ねえってちゃんと言ったんだろぃ?」
きょろきょろ辺りを見回していたと思うと、丸井はそう声を掛けてきた。
ストレッチをしながらフェンスの方に目をやる。
「ああ。なんか用事でもあるんじゃろ」
「なんだよ、心配じゃねえのか?」
「さっき返ってきたメールにそう書いてあったのだろう」
「さあのう」
話を聞いていたらしい柳が含み笑いしながら余計なことを口にする。
メールをしていたのを見られていたらしい。
丸井が変な顔で何か言いたげにして、実際言ってきた。
「お前ほんと、あいつとのメールは熱心だよなあ。俺たちには全然返さねえくせに」
「プリッ」
「当たり前じゃろ、と仁王は言っている」
「柳、勝手に通訳しなさんな」
そんな話をしながら準備運動を終えた。
朝練から調子の良さは続いていそうだ。
その調子の良いときにが見ていないのは少し残念だったが。
休憩時間の途中でが姿を見せた。
急いで来たのだろうか、息が少し切れている。
「お疲れさま、仁王くん」
「ああ。もちょっとお疲れみたいじゃの」
そうかな、と笑うの手に下げられた箱に目が止まった。
……見覚えがある。
「お前さんその箱、もしかして駅前のシュークリームか?」
「さすがだね、大当たり。テニス部のみんなで分けてください」
「今これ買ってきたんか?」
メールには『ちょっと用事があるので遅れて行く』としか書いてなかったが、わざわざ駅前まで行ってきたらしい。
丸井が食いたいと言っていたのを覚えていたんだろう。
「うん。感謝の気持ちだから、ちゃんと受け取ってね」
にこにこと差し出されては断れるはずがなかった。正直なところ、とても可愛い。
敵わんな、そう思って受け取ることにする。
「ありがとうな。丸井たちも喜ぶぜよ」
「そうだと嬉しいなあ」
は本当に嬉しそうにする。
シュークリームはちゃんと分けるが、この笑顔は独り占めじゃな。
がこうして笑えるようになって本当に良かった。
そんなことを思いながら、残りの休憩時間はと他愛のない話をして過ごした。
「ごちそうさん、。みんな感謝しとったぞ」
もちろん一番喜んでいたのは丸井だ。
が大量に買ってきてくれたシュークリームはあっという間になくなった。
帰り道にそう言うと、は苦笑した。
「それは良かったんだけど、帰り際に色んな人がごちそうさま、って言ってくれるからこっちが恐縮しちゃったよ」
「そうじゃったんか」
なんというか、はテニス部内ではもう大分有名人になってしまっている。
別に悪いことではないが、俺としては少し複雑なところだ。
「……ねえ仁王くん、二年生の女の子二人とは和解できたけど、他の三人とはもう無理かなあ」
前レギュラーでバイキングに行った話でひとしきり盛り上がったあと沈黙が落ち、はぽつりとそう言った。
できれば全員とわかりあいたい、といのがの望みなんだろう。
「残りの三人は今はバスケ部を見に行っとる。が水をぶっかけられて、俺が話をつけた次の日からな。わかるじゃろ、そういうやつらなんじゃ。もうが気にすることはなか」
柳から寄せられた真実の情報だった。
俺にはもうどうでもいい話だったのでふーん、と聞き流したが、柳は念のためバスケ部の知り合いに注意を促しておくと言っていた。
確かに危ない連中がテニス部からバスケ部に流れたということにもなるのだから、柳の対応は無駄なものではないだろう。
「世の中にはそういう連中もたくさんおる。残念かもしれんけど、絶対にわかりあえないやつっていうのもな」
「……そうだよね。何もかもうまくいく訳じゃない。でもだったらせめて、うまくいったことは大切にしないとだよね」
うまくいったこと。の言葉に俺は考える。
例えば今こうしてと並んで歩いていること。
少し前までは考えることもできなかったことだ。
ホットココア、朝焼けの屋上、泣きじゃくる、シャボン玉。
通り雨のバス停、虹、今では当たり前になった、フェンス越しにのいるテニスコート。
ゆっくりと通ってきたそのひとつひとつが思い浮かんで、愛おしい気持になった。
「」
「仁王くん」
「……なんじゃ?」
「え? ううん、仁王くんからどうぞ」
「いや、レディーファーストじゃ」
「そう? じゃあ。仁王くん、熱あるの? 顔が赤い気がするんだけど」
心配そうにのぞき込むの顔がふっと近づき、額に少しひんやりした手が触れる。
肩からテニスバッグがずり落ちそうになって慌てて持ち直した。
「やっぱり少し熱いかな……ごめんなさい、もしかして風邪うつしちゃった? この前凭れかかって眠っちゃったし……」
「いや、大丈夫ナリ。今日は調子が良くて動きすぎたからまだ熱が冷めきってないんじゃろ」
「そう? それならいいんだけど。辛くなったら無理しないでね」
「ああ。ありがとさん」
参った。頼むからこれ以上顔を見ないでくれ。
誤魔化すためにぐりぐり頭を撫でてやると「ちょっと仁王くん!」と怒った声が返ってくる。
おかげでさっき俺がと重なって何か言おうとしていたことも忘れてくれたみたいだった。
顔が赤くなったのは他でもない、のことを想っていたからだ。
実のところ自分でも何を言うつもりだったのかよくわかっていない。
ただ今はこうしてとゆっくり、笑いあってふざけ合いながら歩いていたかった。
焦ることはない。もちろんどきどきすることもあったが、と一緒にいると、そんな風に穏やかな気持ちになれるのだ。
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19.熱あるの? 09.12.13