部室の中は昼間でも結構薄暗い。
丸井が出て行き扉が閉まると、窓からの光だけが部屋に満ちた。
授業中の部室は当然のように静かだ。
の寝息だけがすぐそばから聞こえてくる。

「……」

まずい、なんだかやけに緊張してきた。
の頭が乗っている肩が少し強張って震える。
いかんいかん、が起きてしまう。
タオルで軽く拭いただけの状態で長く寝てしまうのも良くないが、もう少し休ませてやりたい。
慎重に深呼吸して身体から力を抜いた。
ふと目の端に触れるの手にそっと指を伸ばしてみる。

「冷たいな……」

途端、緊張感は消え去った。
自分の眉間に皺が寄っているのがわかる。
息も白くなる寒さの中で冷水をかけられたのだ。
あいつらがまだ何かするつもりなのは予想できていたのに、なぜ俺はを守れなかったんだろう。
もう今日だけで何度目かの怒りと情けなさにため息が出る。

首だけを静かに動かして寝顔を覗き込むと、の顔色は白を通り越して青い。
また抱き締めて暖めてやりたい衝動に駆られたが、残念ながら今の俺にそこまでの勇気はなかった。
きっとは驚いて逃げてしまうだろう。
だがせめて、と思って指先だけ触れていた手をそっと握りしめた。
体温の低い俺でも、今のになら温度を分けてやることはできるだろう。

そのままの寝顔を見つめる。
好きなコが自分の肩にもたれて寝ている、なんておいしすぎるシチュエーションだが、状況が状況だ。
の受けた仕打ちを思い出せば丸井が言い置いていった「変なこと」をする気も起きなくなる。
そんな妙な葛藤をしていると、不意にの目が開かれた。

「どうじゃ、調子は。寒くなか?」

少し驚いてしまったことを隠して平常心の振りで微笑み、尋ねる。
はすぐに自分がどうしていたのか思い出したようだった。

「ご、ごめん! 寝ちゃった」

途端に肩からの感触が消える。
同時に手も放したが、軽く握っていたことが気付かれたかどうかはわからない。
は慌てた様子で部室をきょろきょろと見回し、「丸井くんと柳くんは?」と尋ねてきた。

「とりあえず今のところは解散した」
「そっか。お礼、言いそびれちゃったな」
「そんなんいつでもよか。それよりお前さん、今日はもう帰りんしゃい」

え、と戸惑った表情が返ってくる。
予想はしていたが、そんなこと考えもしていなかったらしい。
どうもは自分のことにはあまり気が回らない人間のようだ。

「いつ風邪を引いてもおかしくはなか。早く帰って熱いシャワーを浴びて、あったかくしてよく寝るんじゃ」

今ばかりはじっと目を見つめて有無を言わせない調子でたたみかけると、は少し戸惑ったような沈黙のあとわかりました、と頷いた。

「いいコじゃ。家に着いたらメールしてくれ。本当は送っていってやりたいところなんだが」
「気持ちだけ受け取っておくから!」

慌てたように返事が返ってくるのが可笑しい。
思わず笑ってしまうと「何か可笑しかった?」とふくれっ面をした。
思ったより元気なようで安心する。
もっともは他人の前ではカラ元気をするタイプに違いないので心配ではあるが。
家に帰ったらまたひとりで泣くのかもしれない。
寝付くまではなるべく頻繁にメールをしよう、と思う。

「教室に戻るぜよ。外は寒いと思うが、少しの辛抱じゃ」
「うん、大丈夫」
「コートは着てきたんか?」
「昨日古いのを引っ張り出してきたから」

に頷き返して、一度教室に戻ることにした。
暖房の効いた部室と外の気温差は結構なもので、は少しだけ身震いしていた。
髪を撫でるように触れて確かめてみるとまだ乾ききっていない。
きょとんとこちらを見上げた顔に「帰ったらしっかり乾かすナリ」と微笑み返しておいた。


「それじゃ、気をつけてな」

いいよ、とは遠慮したが強引に校門まで付いていく。
あいつらが今真面目に授業を受けているなんて保証はない。
一人で校内を歩かせるのは怖かった。

「うん。……ほんとに、ありがとう」

深く腰を折るに俺はむしろ守りきれなかった罪悪感を感じているのだが、それを言うとこいつはまた気にするだろう。
汚名はこれから返上することにする。
改めて決心しながら、顔を上げたに優しくなるように微笑みながら手を振った。

校門から後姿が小さくなるまで見送ってから、さて、と深く息を吐いた。
の姿が見えなくなってことで再び湧いてきた怒りはしかし、冷たくて鋭いものに変容していた。


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17.寝顔を見つめる  09.12.11