「んじゃ先に俺から大体のこと話すけど、それでいいか?」
真田から隠して昼寝用に用意していた毛布が役に立った。
に一応確認すると、毛布に包まりながらこくんと頷いた。
暖房をつけたばかりの部室はまだ冷え切っていて、はがたがた震えたまま唇を紫色にしていた。
の隣に座っている仁王でなくても、この姿を見れば憤りも湧いてくる。
まずはこいつを休ませるのが先決、というのが俺たちの総意で、とりあえずその次に事に関わった俺から話をすることにした。
じゃ、最初っからな。
一限は理科だから移動教室だろぃ?
俺もそろそろ移動すっかな、って廊下にでたら、赤也が血相変えて走ってきたんだ。
「丸井先輩! 先輩は!?」
「はあ? なんで赤也があいつ探してんだ?」
赤也は急ぎなんスよ、って焦ってたから、とりあえず俺もを探した。
廊下を見渡してもいないし、もうすぐに授業が始まる時間だから教室にもほとんど人は残ってない。
もいなかった。
そしたら近くにいた星谷が声を掛けてくれたんだ。
「ちゃんならちょっと前に二年生の女の子たちに呼ばれて行っちゃったよ」
「!! やっぱり、あいつら……! どっちの方いったっスか!?」
「え? えっと、向こうから下に降りたみたいだけど」
「どうもっス!」
「待てよ赤也、どういうことだよ!?」
「説明してる暇がないんスよ! 気になるなら先輩もついてきてください!」
赤也があんまり慌てた様子だったからな、こりゃなんか大変なことになってるんだろう、って思ってとりあえず付いていった。
途中でチャイムがなったけど、全速力で階段を降りたら下駄箱の付近でを囲んだ女子たちがぎりぎり見えたんだ。
「ちょっと待った。柳は赤也に例の女子たちを見張るよう言ったんじゃったな?」
「ああ。なにか不審な動きがあればすぐに俺か仁王に知らせるように、と」
「あいつ、なんですぐ俺たちに連絡しないんじゃ」
俺の話を遮って、仁王が少し声を荒げる。
確かに赤也は自分で動くのに専念していて、仁王たちに連絡することまで頭が回っていないようだった。
「ま、ちょっとロスがあったら見失ってたかもしんねえから、今回は大目に見てもいいんじゃねえの」
「そうだな。それにこんなに早く彼女たちが動くことを想定できなかった俺のミスでもある。とりあえずそのことは置いておいて、先に進んでくれ」
「……そうじゃの。俺も人のことは言えん」
仁王ものそばにいないで屋上にいたことを気にしているらしい。
確かに結果的には事情を詳しく知らない俺や赤也が事に気付いたんだから、それもタイミングだったんだろう。
二人が気落ちした様子で沈黙してしまったので、俺は再び話を続けた。
えーと、どこまで話したっけな。
ああそうだ、あいつらの姿を見つけて、俺たちも外に出た。
竹林広場の方に行くのを見て追っかけたけど、その辺りで一旦見失っちまって。
赤也と手分けして辺りを探してたら、4号館の裏の方から物音が聞こえてきたんだ。
「物音? 声じゃないのか?」
「俺が聞いたときにはな。……バシャーンって、バケツの水ひっくり返すような音が聞こえただけだよ」
そこでついに視線が走る。
室内は大分暖まってきたが、はまだ歯の根が合わない様子で震えていた。
ただそれが純粋に寒さだけからきているものなのかは俺にはわからない。
視線を仁王と柳に順に戻して、話を続けた。
とにかく俺が見たときには、誰も声を立てていない状態だった。
なんかすげえ異常だったよ。
4号館の壁際に水ぶっかけられたが立ってて、五人の女子がこいつを囲んでた。
後ろから追いかけてたときはたぶん三人くらいだったから、二人はバケツ持って先にスタンバってたんだろ。
「おめーら何してんだよ!」
目の前の光景に驚いて俺も反応できなかったけど、やっと声が出た。
全員が一斉にこっち向いて、はっとした顔して、目配せし合って逃げていった。
追いかければ一人くらい捕まえられただろうけど、のことを放っておく訳にもいかなかったからな。
俺の声を聞きつけて走ってきた赤也にすぐタオルと部室の鍵持ってこいって言って、それから部室の前に移動した。
「その後仁王に電話して、今ここにいる、っつーわけだ。俺が関わったところはこんなもんだな」
たぶんほとんど一部始終だろう。
たちが割りかし早く見つかったのは運が良かったと思う。
騒ぐ声も聞こえなかったから連れてこられてからいきなり水ぶっかけられたんだろうし、だったらそのあと何をされていたのかわかったもんじゃない。
「なるほどのう。大体わかった」
もともと目つきがいいとは言い難い仁王の目がさらに半眼になっていた。
あーあ、キレてんじゃねえの、コレ。
まあ仕方ないだろう。を呼び出した連中は俺にも見覚えがある。
放課後よくテニス部を見に来ているあいつらは全員仁王のファンだ。
仁王と仲の良いを妬んで事に及んだんだろう。
わかりやすいっちゃわかりやすいけど、それだけにタチが悪い。
大体真冬に冷水、って時点でそのヤバさが窺える。
仁王ってなんっか危ないファンつきやすいんだよなあ。
「、どうじゃ、身体は温まったか?」
「……うん、おかげで大分。今はちょっとだけ寒気がするくらい」
そう返した唇も少し赤みを取り戻していた。
声の調子も思ったよりしっかりしている。
この分ならいいかな、と俺は気になっていたことを聞いてみることにした。
「なあ、聞いていいか? 大体のことは想像できっけど、前にもこんなことがあったのかよ?」
赤也には柳が指示を出していた、というようなことをさっきこいつらは言っていた。
も今日初めてあいつらに手を出されたわけじゃないんだろう。
俺の問いに仁王と柳もじっとを見た。
こいつらも直接話を聞くのは初めてらしい。
「前にも、って訳じゃないよ。昨日だけ。たぶんあのコたち、ってだけで確信はないけど……」
「いや、間違いない。赤也がコートらしきものに水と泥を掛けている彼女たちの姿を見ている」
「……そっか」
はそこで仁王の様子を窺うように見る。
仁王が頷くようにして先を促すと、も観念したようだった。
「昨日の放課後、コートを取ろうと思ってロッカーを開けたら、濡れて泥だらけになって、バラバラになったコートが入っていたの。それだけだよ」
「バ、バラバラ?」
「切り口がきれいだったから、たぶん裁ちバサミで切ったんだと思う」
「うわ、えっぐ……」
「水と泥をかけただけではなかったのか」
はなんでもないように言うが、実際見たら相当ビビる光景だろう。
コートってのは結構厚みがあるもんだ。
それを濡らして泥をかけた上、バラバラに切断する。
そんなことするくらいだから真冬に水をぶっかけることにもためらいなんてなかっただろう。
どっかのネジがぶっ飛んでる。
そんな奴らがずっとテニス部を見てたっていうんだから、ぞっとしねえ話だ。
「……今朝呼び出されたときはどんな様子だった?」
何かを押し殺すように低い声で仁王が問い質す。
さっきの柳の反応からするとこいつらが知ってたのはコートが汚された、ってところまでだ。
まさかその上切られているとは思わなかったんだろう。
それでなくても仁王はかなりキレてたみたいだけど、まあ無理もねえな。
「教室で三人の女の子たちに呼び出されて、仁王くんのことで話がある、って言われた。ちょっと変な雰囲気だったけど、断る理由もないからついていったんだ。校舎の外にまで出るとは思わなかったけど、こっちから何か聞けるような雰囲気じゃなかった」
「お前は何か聞かれたのか?」
「……そんなにたくさんは。その……仁王くんと付き合ってるのかとか、なんでテニス部を見に来るのかとか、そういうことを、いくつか」
柳の質問には答え辛そうだった。
当の本人がすぐ横にいるんだからそりゃそうだろう。
仁王は真田みてえに眉間に皺を寄せて、静かに怒っているのが一目で分かる。
の方はさっきからずっと、揃えた足の先に視線を落としていた。
「でも何を答えても、あんまり聞き入れてくれる感じじゃなかった。さすがになんで自分が呼び出されたのかにはなんとなく気付いていたから、ちょっと怖くなった。コートを切ったのもこの人たちなんじゃないかって疑った。囲まれていてどうせ逃げ場もないし、それならちゃんと話を聞こうと思ったんだけど」
はそこで一瞬呼吸を止めるようにしたあと、大きくため息を吐いた。
「あとは丸井くんの見た通り。ようやく止まった先にはバケツを持った女の子が二人いて、壁にどん、って突き飛ばされたと思ったらいきなり水を掛けられちゃった。冷たいしびっくりしたしで心臓が止まるかと思ったよ」
そう言っては苦笑してみせるのだから、案外強い奴なんだな。
ただ仁王は俺みたいに感心しているわけじゃないらしく、何か言いたそうな目でを見ている。
結局何も言わないうちにが再び口を開いた。
「話を聞くことはできなかったけど、あのコたちの言いたいことはよくわかったよ。私なんかよりずっと前から、あのコたちはテニス部を見に来ていたんだよね?」
「そういうことになるな。おそらく、もう一年近い」
仁王が答えないのを見てから柳が言う。
は柳には視線を返してから頷いた。
「それだったらあのコたちが怒るのも無理はないと思う。あのコたちはずっと仁王くんが好きで、ずっと見ていたのに、いきなり目の前に私みたいなのが現れたんだから。一緒にそばでテニス部を見ていたのに、あのコたちの気持ちに気付けなかった私も馬鹿だよ」
仁王が顔をあげて何か言おうとしたのを、柳がそっと手をあげて制した。
ぐ、と言葉を飲み込んだ様子で、仁王はの話の続きを待つ。
俺も今はこいつの話を聞きたかった。
多分、俺たちとはかなり違う思考で動いているの話を。
「責められるのは仕方がないと思う。気持ちの行き場がそこにしかなかったんだ、っていうのはわかるよ。でもだからって、あのコたちの行動が理解できるわけでもないんだ。もし仁王くんが、……みんながいてくれなかったら、って思うと本当にゾッとする」
俺と柳(あとたぶん赤也も)が仁王のついでみたいなのはまあしょうがねえか。触れないでおこう。
は青い顔のまま、瞬間本当に身を震わせた。
その様子を見て思う、水をぶっかけられた直後の姿を見た俺でもの恐怖は想像しきれていない。
ひょっとしたら、昨日のひどい姿のコートに自分の姿を重ねたりもしたのかもしれない。
……あ、やべ、いま俺もすげー怖くなった。
昨日からそんな恐怖を抱えていたのだとしたら、それは相当なストレスだろう。
それでもこいつが一番怖がっていたのは仁王にこのことを気付かれることだったんじゃないだろうか。
さっき仁王に電話する俺を止めようとしたは、別人みたいに必死だった。
けれど今はもう落ち着いているみたいだし、のためにも仁王のためにもこれで良かったんだと、こうするべきだったんだと俺は思う。
「はこれからどうしたいと思っている?」
「私は……」
柳の問いかけには言葉をつまらせたけれど、どっちかというと心はもう決まっていて、言葉を選ぶのに悩んでいるように見えた。
「情けないけど、これ以上関わりたくないっていうのが正直なところです。向こうに私の話が聞いてもらえないのももうわかっちゃったし、できれば時間を置いて落ち着いてくれたらもう少しわかりあえると思うんだけど」
今は恐怖が強すぎてとても無理、と沈んだ声で重ねられる。
確かに仁王との付き合いを否定したり、があいつらの思っているような理由でテニス部を見に来ているんじゃないことを聞いても、あいつらは何も言わず水をぶっかけたのだ。
今が何を言おうと無駄、ってことだ。むしろ痛みが増えるだけだろう。
柳と仁王もたぶん同じことを考えている。
二人とも誰にでもなく頷く仕草を見せて、仁王がやっと口を開いた。
「ああ。はなんもせんでいい。今まで通りテニス部を見に来て、微笑んでいてくれればいいんじゃ」
やわらかい声でそう言って、それからもっと視線を外してなんだか妙に情けない顔をした。
言いたいことがある、でも言いあぐねている、なんかそんな感じ。
「仁王の言う通りだ。は今は何もしない方がいい。心配するな、あとは俺たちに任せておけ」
「……柳、俺のセリフいいところで奪ってからに」
「お前がさっさと口にしないのが悪い」
悪びれもなく答える柳は妙に楽しそうだった。
まあこいつら見てるとそんな気持ちになるのもなんとなくわかるけど。
つーか、仁王のさっきの「微笑んでいてくれうんぬん」もかなり恥ずかしいと思うんだけどな……。本当はお前は俺が守る、くらい言おうとしていたのかもしれない。想像したら仁王には似合わなすぎてちょっと笑いそうになったけど、なんとかこらえた。
肝心のは、と思って目を向けると、柳たちの言葉にこくこく頷いているのかと思ったらどうやらそうではなさそうだった。
「おい、なんかすげえうとうとしてるけど大丈夫か? 『寝るな、寝たら死ぬぞ!』的なやつじゃねえよな?」
毛布に包まったまま、今にも眠りそうにゆらゆらしている。
凍死とかしねえよな、と思わず不安になる。
「身体も温まって、それにおそらく疲れが出たんだろう。少し眠らせてやった方がいい」
「ん、そうじゃな」
柳が言うと仁王はの腕をそっと引っ張って、自分にもたれかけさせた。
は抵抗なく仁王の肩に頭を乗せ、そのまますぐ寝ちまったみたいだった。
なんっつーか、やれやれ、って感じだな。お疲れさん、。
「は俺が見ておく。とりあえず今のところは解散じゃ」
ま、もこの状態じゃ俺たちがあれこれ話し合っている訳にもいかないだろう。
今は仁王が俺たちを追い出したがっている気もしないでもないが、気付かない振りをしてやろう。
「が起きたら早退させた方がいい。この季節に冷水を浴びたのだからすぐに風邪をひいてもおかしくはない」
「ああ、わかっとる。たぶんすぐに目が覚めるじゃろうから、ごねても無理にでも帰すぜよ」
「んじゃ、後はよろしくな、仁王。変なことすんなよ」
「……」
やべ、つい余計なひと言が口に出ちまった。
仁王が結構真剣に睨んでくるから笑ってごまかしておいた。
それを見て柳もフ、とか笑いやがったけど。
鍵を置いて出た柳の後に続いて部室を出るとき、扉を閉める前に仁王たちを見る。
そっと寄り添うい合うような二人の姿が薄く落ちる陽光の中に馴染んでいる。
結構お似合いだと思うぜ、お前ら。
声には出さず、心の中でなんだか自然とそう思った。
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16.寄りかかったまま 09.10.29