二月十四日の土曜日、俺は機嫌が悪かった。
「今日の仁王先輩、一言もしゃべんないっスね……」
「ぶっ……ははっ! わかりやすすぎだろ、あいつ!」
「えっ、なんスか? 丸井先輩は原因知ってるんすか?」
「赤也! 丸井! 無駄話をするな!」
「す、スンマセン!」
「今のぜってー仁王のせいだろ……」
こっちは一言もしゃべってなくても、当然他の人間の会話は聞こえる。
丸井が余計なことを言いそうだったので真田をうまくけし掛けた。
何を言おうとしていたのかなんて大体想像がつくし、多分当たっている。
丸井にすらバレバレだなんて情けないが、どうしようもない。
「ふー……」
「仁王くん、ため息を吐くと幸せが逃げますよ」
「もうとっくに逃げとる」
私で良ければ相談に乗りますよ、という柳生の進言を丁重に断る。
ありがたいが気になる女子にチョコレートを貰えなかった、なんて死んでも言いたくない。
バレンタインデー。毎年の割と面倒な行事だ。
テニス部の連中は大体みんなそうだが、こういうイベント事ではことごとく標的にされる。
今年は当日が土曜で休みだったから、昨日が問題の一日となった。
休んでしまおうか。どうせ貰ってもみんな断るんだし、だったら最初から貰いに行かない方がいい。
だが今年はたった一つだけ期待があった。
からのチョコレートが欲しい。
驚くほど素直にそう思ったのだ。
「仁王。今日は随分動きが悪いね。何か嫌なことでもあったのかい?」
「……幸村」
ずけずけと言いながら微笑む幸村は当然理由を知っているのだろう。
今まで直接のことをどうこう言ってきたことはなかったが、どうせ大方事情を把握しているに決まっている。
まったく、うちの連中は妙に勘が鋭い奴ばかりで困る。
「気持ちはわかるけれど、今は部活に集中しなよ。そんなんじゃあ高等部に入ったらレギュラーになれないよ。そうしたらがっかりする人もいるんじゃないかな」
「余計なお世話じゃ」
幸村はもちろんのことを言っているのだろう。
本当に余計なお世話だ。
大体幸村に俺の気持ちがわかるとも思えない。
悔しいがもし幸村が俺の立場だったら、
からのチョコレートも難なく手に入れているだろう。
「仁王、二月十四日はまだ終わっていないぞ。最後まで諦めるな」
「あーあー、どうもな」
からかっているのだか本気で激励しているのかいまいちわからない柳に適当に返事を返す。
二月十四日はまだ終わっていない? 確かにそうだが、もう期待するだけ無駄だろう。
昨日だって朝と帰り、と二人きりになるチャンスはあった。
けれど俺たちはいつも通りの他愛ない話をしただけなのだ。
いつもよりもっと沈黙は多かった気がするが。
はバレンタインについて一言も触れなかった。
ひょっとして元カレにはあげたのかもしれない、そう考えると少し暗い気持ちにもなった。
結局最後まで部活に集中できないまま帰路に着いた。
今日も一日、空は相変わらず馬鹿みたいに晴れていた。
その空から逃げるように俯きながら、なんだか本当に馬鹿みたいだ、と無性に自分を下卑したくなる。
別に今まで見返りを求めてと一緒にいた訳ではない。
バレンタインにチョコを貰えなかったくらいで、ここまで落ち込む方がおかしな話なのだ。
だって振られたばかりでこういうイベントに参加する気にはなれなかったのかもしれない。
本気で残念ではあるが、勝手に落ち込まれてにも迷惑な話だろう。
チョコは貰えなかったが、まさか嫌われていることもあるまい。
そう思って、バスを待ちながらメールでもするか、と携帯を取り出し、顔を上げた。
「……?」
幽霊の名前でも呼ぶように呆然とした声が出てしまった。
今ここにいるはずのない人物、という意味では間違ってもいないだろう。
人違いか、とも疑ったが、俺の声に振り向いたのはどう見てもだった。
「仁王くん。お疲れさま」
白い息を吐き出しながらそうが微笑んだ瞬間、胸が締めつけられた。
気づけば小走りで駆け寄っている。
バス停の下に立ったままのの鼻の頭が少し赤い。
もう随分長い時間ここに立っていそうな感じだった。
「どうしたんじゃ、こんなところで」
「ん、別にどうもしないよ。仁王くんは部活だったんだよね」
「ああ」
どうもしないことはないだろう。
だがどう聞いてやったらいいのかわからず、そう答えるだけになった。
「……あの、これ」
「ん?」
少し長い沈黙の後、が手に下げていた小さな袋をおずおずと持ち上げる。
『二月十四日はまだ終わっていないぞ』
柳の例の一言を思い出し、もしや、と期待し始めると心臓が急に早く鳴り出した。
「仁王くん、いっぱい貰ってたみたいだから、もしかしたらもう邪魔かもしれないけど……」
全部断っているとは知らないらしい。
おずおずと袋を差し出しながら、は小さな声で微笑む。
「ハッピーバレンタイン。良かったら貰ってください」
時が止まったようだった。
あれだけ期待していたはずなのに、いざ貰えるとなると信じられない気がしてくる。
だが手は正直なもので、素直に受け取っていた。
「……ん、ありがとうな」
俺はいったいどんな表情をしていたのだろう、よっぽど嬉しそうな顔をしたのかもしれない。
がいきなり赤くなり、慌てたように言ってきた。
「あの、味はほんとに期待しないでね! 私、本当に料理とか下手で……でも一応、甘さ控えめにしてみたから。形も一番いいのを選んだつもりだから……良かったら、食べてもらえると嬉しいです」
手作りか。余計に嬉しくなってしまう。
まだ赤くなったまま俯くの頭を自分の心も落ち着けるようにぽんぽん、と撫でる。
「もちろんいただくぜよ。楽しみだのう」
「だから、期待はしないでってば!」
よっぽど自信がないらしい。
の反応が面白くてつい笑ってしまった。
味なんて二の次だ。面と向かってそんなことは言えないが。
「……それにしてもお前さん、ひょっとしてこの寒い中ずっと俺のこと待っとったのか?」
「ち、違うよ。ここを通ったのはその、えっと、ぐ、偶然だよ」
やっぱり待っていたのか。
の返答はわかりやすすぎた。
部活が何時に終わるのかわからなかったから、俺がいつも使うこのバス停にいたのだろう。
メールでもなんでもしてくれれば良かったのに。風邪でも引いたらどうするんじゃ。
「……そうか。会えてラッキーじゃったの」
「うん、ラッキーだったね」
だが騙された振りをしてやると、はほっと息を吐いた。
白く広がるそれをそっと目で追う。
俺にチョコレートを渡すのに、がどんな風に悩んだのかはわからない。
だがそれがどんな感情だろうと、俺にはきっと尊いものだろう。
「あ、バス来るね。それじゃあまた、学校で」
「待ちんしゃい。送っていくきに」
「今日はまだ明るいから大丈夫だよ。じゃあね!」
止める間もなく、は走って行ってしまった。
片手にはのくれたチョコレートが、片手にはの髪を撫でたときの感触がまだ少し残っていた。
自然、口が綻ぶ。
二月十四日の土曜日。
俺はものすごく機嫌が良かった。
家に帰って早速開けてみたら、中身はトリュフだった。
パウダーがまばらだったり、形が少し歪だったり、やわらかかったりかたかったり。
確かに料理が少し苦手なんだな、と思ったが、その不完全さが微笑ましい。
のことだ、必死に一生懸命作ってくれたのだろう。
ビター風味のトリュフは一口一口がとんでもなく美味しく感じた。
チョコにはメッセージカードが一緒に入っていた。
かなりどきどきしながら封を開けてしまったが、中には手書きで一言、「いつもありがとう」とだけ書かれていた。
妙な期待をしてしまった分、自分に苦笑する。
結論をいえばこれは紛うことなき義理チョコなのだろうが、今はそれで構わない。
たとえばひと月後にどう気持ちが動いているかなど、誰にもわからないのだから。
とりあえずどきどきさせられた礼に、ベタ褒めのメールでも送ってやるか。
もちろん中には本音も隠す。
はそれには気づかないかもしれないが、どんな反応が返ってくるか、今から楽しみだった。
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10.ぐ、ぐぐぐ、偶然だよ 10.1.21