天気は本日も晴れ。気まぐれな天気雨も今のところ降りそうにない。
避けようもなく太陽の下を歩いて、今日も人気のない早朝の道を学校に向かう。
おそらくがいつも来ていたくらいの時間だったが、教室に着くまで会うことはなかった。
今日はちゃんと寝坊できたのかもしれない。それに越したことはないのだが。
久しぶりに一番乗りだった教室はしんと冷え込んでいた。
暖房をつけて荷物を置き、椅子には座らず机に浅く腰掛ける。
昨日の日直は誰だったか、几帳面なやつだったらしく黒板がやたらときれいだった。
いつも通り買ったブラックコーヒーを飲み終わらないうちに教室の扉が開いた。
「おはようさん」
「おはよう、仁王くん」
結局寝坊はできなかったらしい。思わず苦笑すると、も少し困ったように笑った。
窓際の自分の席に向かうをコーヒーを飲みながらなんとなく目で追う。
今日は泣いてはいないが、まだ元気を取り戻したというわけではないのだろう。
朝日を受けて白くとんだ肌がどこか消えていきそうに見えた。
「、このあとヒマか?」
気付けば口を開いていた、この間から俺の気まぐれは積極的に顔を出している。乗りかかった船、という言葉もなんとなく頭に浮かぶ。
は緩慢な動作で顔をあげて、そのまま少し首を傾げるようにして答えた。
髪の毛がはらりと流れると、一緒に光の輪がきらきらと移動する。
「ヒマといえば、ヒマだけど」
「ならテニス部、見に来んか」
は目を見開いて、驚いているようだった。
思いもよらない誘い、というところだろうか。俺も自分で少し驚いた。
「いいの?」
「外は寒いかもしれんけど」
気晴らしにはなるじゃろ、という言葉をやっぱり引っ込めて、ヒマ潰しにはなるじゃろ、と言いかえる。
「うん……見に行ってみようかな」
面白い部員さんたちも気になるし、と笑うはきっと、俺が昨日語ったテニス部の話を思い出しているんだろう。実際おかしな連中ばかりだから変な話題には事欠かなかった。
ただあまり自分からテニス部の話題をしたことはなかったな、とまた気まぐれだったことを思い出す。
相手だとどうも、普段はあまりしない気まぐれが出やすいらしい。やっぱり不思議なやつじゃ。
「それじゃ行くぜよ。ようこそ、立海テニス部早朝ツアーへ」
「よろしくお願いします」
手を広げてわざとらしく言うと、は楽しそうに笑ってぺこりとお辞儀した。
寒い、寒いと言い合いながら廊下を歩く。
とこうしてふたりで並んでいることが最近多いが、思えばその全てが早朝だ。
他に人気のないときばかりだから、気付いている人間はいないだろう。
秘密めいた関係は悪くない。なんとなくそう思った。
「俺は着替えて行ってくるから、適当に見ていきんしゃい」
「うん。ありがとう。頑張ってね」
白い息をマフラーで隠しながらは手を振って微笑んだ。
部室に向かいながら振り返るとフェンスの先を見つめるようにしていたが、何を考えているのかは読み取れなかった。
着替えてコートに出るといつも通りのメンバーがちらほら練習を始めている。
先に来ていた柳と一瞬目が合って、慌てて逸らしてしまった。やつは薄く笑っていた気がする。
の姿はとっくに認めていることだろう。別にやましいことはないが、この前の元彼のことを尋ねたばかりだ。変に勘繰られても仕方ない。
話しかけられたら面倒だな、と思いながらストレッチをしていたら部室から丸井がまっすぐ走り寄ってきた。
「よう、仁王。なあ、あれじゃねえ?」
「おはようさん。ああ、じゃの」
面倒なやつがここにもおった。の気晴らしになれば、と考えナシに連れてきてしまったが、テニス部の連中が反応するだろうことがすっかり抜け落ちていた。
朝練は放課後ほど見物人もいない。の他には下級生の女子がちらほらいるだけでなのでの存在も目立つ。
「あいつこの前F組の彼氏と別れたらしいぜ」
「……耳が早いな、丸井」
お菓子くれるついでに女子が色々噂話してくんだよ、と丸井は面倒そうに言った。欲しいのは食べ物だけなんだけどな、と愚痴るように付け足したが、なるほど、それが丸井の情報網というわけだ。
それにしても女子というものは怖い。が友人に別れたと話している様子はなかったが、もう知れ渡っていたのだ。
「振られたって聞いたけど、なんだ、もうテニス部のヤツに乗り換える気か? 大人しそうなくせして意外だな」
くちゃくちゃガムを噛みながら言う丸井に悪意はたぶんなかったのだろう。
連れてきたのが俺じゃなければ俺もそう思っていたかもしれない。
ストレッチを止めてじ、と丸井を見ていたらやつは気圧されるように「な、なんだよ」と一歩下がった。
「はそんな女じゃなか。今日は俺が連れてきたんじゃ」
丸井はガムを噛むのも忘れてえ、と目を丸くした。
色々面倒だし言うつもりはなかったが、が誤解を受けるというのなら話は別だ。
俺の気まぐれのせいで悪評が付きでもしたら気分が良くない。人助けっちゅーのも難しいもんじゃ。
「なに仁王、アイツのこと好きなの?」
予想通りの反応にため息をつきたくなった。
明らかに面白がってニヤニヤしている丸井の頬を思いきりつねりたくなってくる。
すぐ色恋沙汰に繋げようとするあたり、丸井もお菓子の献上ついでに噂話をしている女子に毒されているのかもしれない。
「そういうんじゃない。ホットココアの縁じゃ」
真実のようなものだったがはぐらかされたと思ったのだろう、丸井は「は? 意味わかんねえし」と不満そうだった。
それ以上の話をするつもりはなかった。ストレッチを再開すると丸井も諦めたのだろう、少し離れて同じように身体を動かし始める。
ストレッチを終え、立ち上がってフェンスの方を見るとぼーっとこっちを見ていたが気づき、にこりと笑って手を振ってきた。
振り返すと丸井が聞こえる声で「やっぱり好きなんじゃねーの」と呟いたので「ストレッチ手伝っちゃる」と理由をつけてしゃがみ込む背中に思いきり体重をかけて乗りかかった。「うわあギブギブ!」と降参するまで。
その後はいつも通りの練習をした。真田がいつも通り怒鳴り、幸村がいつも通り微笑み、少し恐れていたのだが柳が何か言ってくることも別になかった。
ただ気になったのが、丸井が赤也にの方を示しながらこそこそ話しかけていたことだ。
いらんことを吹き込まれたに違いない、赤也がニヤニヤしながらこっちを見るのでイリュージョンで真田の風林火陰山雷を見舞ったらビビった顔をした。
練習が終わってから着替える前、人のまばらになったコートでフェンス越しにの前に立つ。
マフラーにうずめた顔を寒さのせいか少し赤くして「お疲れさま」とは微笑んだ。
「退屈じゃなかったかの」
「ううん。すごい楽しかったよ。真田くんと切原くんの掛けあいも見れたし」
「あれはテニス部名物じゃからの」
どうやらはそれを楽しみにしていたらしい。本当に可笑しそうに笑うので赤也には悪いが安心した。
「仁王くんもすごくかっこよかった。テニスってきれいだね」
どき、とした。きれいだ、と微笑むの方がなんだかきれいに見たのだ。
かっこいい、なんて正直言われ慣れたセリフだったが、妙に新鮮に聞こえてしまう。
視線をそらして「楽しめたんなら良かったナリ」とだけ返したが、早口になってしまった。
「うちのテニス部ってほんとにすごかったんだね。三年間もったいなかったかな。全国大会とか、見に行けば良かった」
「まだ高校があるぜよ。いつでも見に来ればよか」
それに全国の決勝は負け試合だった。俺だって不二に負けたのだ。
どうせ見てくれるなら勝つ試合を見て欲しい。褒められて調子に乗ったのか、自分でも不思議なくらい欲が出る。
「そうだね。うん、そうするよ。ありがとう」
「ああ。寒い中お疲れさんじゃったの。先に戻りんしゃい」
「うん。お疲れさま」
コートのポケットから白い手を出してひらひら振ってくる。
俺が戻るのを見届けようとしているらしかったので手を振り返しながら大人しく背を向けた。
今朝はの涙を見ることがなくて良かった。なんとなくで始まった気晴らし作戦は成功したといえるだろう。
「仁王先輩! あの人彼女っスか? 結構きれいな人っスね」
イリュージョンではこりなかったらしい。なんにせよ元凶は丸井だ。赤也の問いはとりあえず無視して赤い髪の方を睨むが、着替えながら鼻歌まじりにパンを食べているだけだ。怒る気も失せる。
「あいつは赤也が真田に怒られるところを見にきたんじゃよ」
「え!? なんスか、それ!」
「楽しそうじゃったよ。きれいな先輩に笑ってもらえて良かったのう」
「……ぜってー仁王先輩が変なこと言ったんでしょ」
赤也はむくれたがおかげで本題からはそれた。
彼女ですかなんて聞いてきたが、丸井はどうせ「仁王の片思いの相手だ」とでも面白おかしく吹き込んだんだろう。俺がに話した赤也のエピソードはほとんど真実だったが、まあこれで痛み分けだ。
あとは丸井にはどうしてやるかの。いたずらの内容を考えるのは楽しいもんじゃ。
は確かにどこか放っておけないやつで、そういう意味では気になる相手だ。
嫌いなやつだったら俺がこんな面倒な気まぐれを起こすはずがないし、好きか嫌いかで言われたら好きだということになるのだろう。
ただそれが恋愛感情かといわれたら俺はやっぱり頷かない。
丸井へのいたずらを考えるつもりがいつの間にかのことを考えていて、シャツに袖を通しながら首をかしげた。
結構きれいな人ですね、と赤也は言った。赤也は単純に外見のことを言ったんだろうが、俺がをきれいだ、と思うときはなにかもっと特別な瞬間だ。
「仁王先輩すみません、授業に遅れちゃうんで早く着替えてもらえると……」
「あ、ああ。すまんの」
しゃぼん玉のように淡い考えが浮かんで弾けた。
部長の赤也から鍵を預かっている副部長の岩国に申し訳なさそうに急かされ、いそいでセーターをかぶった。
気付けば赤也も丸井ももういなかった。
ずいぶんぼーっと考え事をしていたらしい。なんだか気分が乗らない。一限はサボってしまおうか。
だがに「先に戻りんしゃい」と言ったことを思い出す。
別にあいつが俺を待っている訳ではないだろうけれど、思い出して教室に戻ろう、と思った。
←back next→
home
5.いつもと違う姿にドキドキ 09.3.5