私が失恋したのを知ったからか、あんなに日本晴れの続いていた天気はあっさりと崩れた。
はっきり振られたのにいつも通り朝早く家を出てしまった私を責めるようだった。
仁王くんのおかげで昨日一日、学校では思いの外ふつうに過ごすことができた。
不意に思い出して泣きそうになったりしたけれど、友達にも何も悟られることはなかった。
けれど反動は帰宅してから現れた。
部屋に入るなり制服も着替えずにベッドに身を投げ、むせるほど泣いた。
朝泣きつくしたと思った涙はちっとも枯れてはいなかったのだ。
私の手元にはあのきれいなしゃぼん玉もなくて、疲れて眠るまで泣くしかなかった。
家族の前では学校と同じように平常心を保った。
お風呂で泣いて、ご飯を食べて、部屋に戻って泣いて、泣き疲れて眠った。
時刻を直していなかった目覚まし時計が昨日までと同じ早朝に鳴り、私は何も考えずに家を出た。
このまま進むとどこかで彼とはち合わせてしまうかもしれない。
恐れながら、馬鹿みたいに期待もしていた。ひょっとして、やり直そうって言ってくれるんじゃないかって。
そんな私に目を覚ませというように、雨は突然降り出した。
天気予報も見てこなかったが、晴れ間が少しのぞいている。天気雨だ。
しばらく呆然と立ち竦んでいるうちにコートは重みを増した。
失恋した上に濡れ鼠か。ひどく自虐的な気分になる。
風邪をひくかもしれないな、頭の片隅でそう思ったけれどどうでも良かった。
雨に打たれながらとぼとぼと歩きだす。みじめだが、今の私には似合いだろう。
もし不意に泣いたとしてもこれならきっと誰にもわからない。
「! 何してるんだ」
バス停の前を通るとき、名前を呼ばれた。
緩慢に首をめぐらせる間に屋根の下に引き込まれる。
「あれ、仁王くん……おはよう」
「おはようさん。風邪ひくぜよ。ほら、拭きんしゃい」
仁王くんは引っ張っていた私の腕を放し、鞄の中からタオルを取り出して放り投げた。
頭の上にちょうど被さり、反応できないでいるとわしわしと無理矢理髪を拭かれた。
なんだかお母さんみたいだ。昨日のことといい、仁王くんって面倒見の良い人なんだな。少しだけ心が和んだ。
「ありがとう。ごめんね」
「謝らんでいい。天気雨じゃ、しばらく雨宿りしていきんしゃい」
乱れた髪を手ぐしで整え、おとなしく頷く。仁王くんの隣に並んだ。
私たちを客と勘違いしたバスが少しの間止まって、去って行く。
立海の生徒はまだ誰も降りて来なかった。
早朝の雨があたり一帯を冷やすように降り注ぐ。
「仁王くんにはいつも、変なところばかり見られちゃうね」
そしていつも助けられているな、とぼんやり思った。
あまり人と話す気分ではなかったけれど、気付けば口を開いていた。
仁王くんはそうかの、と気にしていないような返事をしてくれる。
あまり他人に興味のない人かと思っていたけれど、関わってみればすごくやさしい人だった。
「ま、確かにお前さんはちょっと変だけど、真面目すぎじゃの。たまには寝坊でもしてみんしゃい」
仁王くんはからかうように言ったけれど、彼氏に振られたのにまだ朝早く来ようとする私を気遣ってくれたんだろう。やだな、と笑って返すとまじめに言ってるんじゃ、と返されてちょっと戸惑ってしまう。
雨が少し弱くなった。もうすぐ止みそうだ。
「仁王くんだって真面目じゃない。引退したのに、毎朝部活でしょう」
「高校でも続けるつもりだからの。俺だけじゃなか、テニス部の連中はみんなそうじゃ」
立海テニス部はすごく強い。
彼らの年では三連覇こそできなかったものの、全国大会準優勝というのは十分すごい成績だ。
それでもまだ上を目指すのが彼らだった。
私はこの三年間、さほどテニス部に興味を持ったことはなかったけれど、ちょっと前まで私が朝寝ていた時間にテニス部はもう部活を始めていたのだろう。
私が友達とお菓子を食べながらおしゃべりしている間に、彼氏とデートをしている間に、彼らはテニスの練習を積み重ね続けていたのだ。
「頑張ってね。応援してる」
「ありがとさん。から応援してもらえるとは思ってなかったナリ」
それを言うなら、私だって昨日仁王くんに励ましてもらえるとは思っていなかった。
なんだかおかしくてくすくす笑うと、仁王くんもははっ、と笑った。
雨があがり、心も少し晴れている。あまりのタイミングの良さに、仁王くんが天使か何かに思えてきそうだ。
「あがったな。行くぜよ」
「うん」
バス停の屋根を出ると、雨の匂いをまだ少し残しながら空はほとんど青を取り戻していた。
虹だ、進む方向を見上げて仁王くんと同時に呟く。
淡くかかった虹は昨日見たしゃぼん玉の色によく似ていた。
学校へ向かう間、油断するとすぐに暗雲が胸を覆うが、危ないタイミングでいつも仁王くんが声を掛けてくれた。
テニス部のことを面白おかしく話してくれて、私は何度も笑うことができた。
学校に着いたのはいつもより遅い時間だったけれど、おかげであの人に会わずに済んだ。
私に意地悪をしているように思えた天気雨にも感謝すべきかもしれない。
仁王くんは自販機でブラックコーヒーを買う。一度だけなぜかホットココアが出てきたんじゃ、と言って、以前それをくれたときの真相が明かされた。
ちょっと遅くなったけどまだ時間があるからと、仁王くんは荷物を置いて部活に向かった。
少しだけ躊躇してひとりでも大丈夫か、と聞いてくれたのが嬉しかった。仁王くんにはもう十分すぎるほど助けてもらった。これ以上頼るわけにもいかない。
頑張ってね、手を振ってひとりになった私はいつもと同じように参考書とノートを開いた。
ひとりになると少し泣きそうになるけれど、思ったより落ち着いている。
仁王くんのしてくれた話を思い出すと自然と笑えてきて、黙々と勉強するより気が晴れた。
窓の外を見る。空はもう雲ひとつない。
ぼうっと見ていると不意にしゃぼん玉が浮かび上がってきた。
きっと仁王くんだ。つい声に出して笑ってしまう。
それから少しだけ泣いたけれど、昨日みたいに辛いだけの涙ではなかった。
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4.雨宿り 09.2.11