「仁王くん、今日放課後ちょっと時間もらえる?」
「あぁ、構わんよ」
前の席の丸井が席を立ったときに、からそう声を掛けられる。
丸井は朝が「おはよう」と声を掛けたときに顔を背けたまま「はよ」と答えたきり、一度も後ろを振り向かなかった。
昨日の今日だ、まだ心の整理がつかないのだろう。
すまん、丸井。
俺は心の中でもう一度謝る。
詐欺師といえど、こうも人を傷つける嘘は自分の心臓にも悪い。
が丸井の気持ちに気付いているのかはわからなかったが、様子がおかしいのは明らかだ。
俺たちは互いに丸井がそばにいるときはなんとなく話をするのを避けていた。
まだ日も高い放課後、俺たちはコートへは向かわず、街中のカフェに入った。
外はまだ当たり前のように暑く、カフェの冷房が汗ばんだ肌に心地良い。
「はなにがええ?」
「アイスカフェオレにしようかな」
「了解ナリ。俺が買ってくるから席の方は頼んだぜよ」
「うん、よろしくね」
レジはそれなりに混んでいた。
会計を済ませてグラスに注がれたばかりのアイスカフェオレとアイスコーヒーを両手に持ち、の姿を探す。
軽く手を上げるが目に入ると、は手を下して微笑んだ。
……こうしていると、なんだか本当にデートみたいじゃな。
「ありがとう、仁王くん」
から渡されたぴったりのカフェオレ代は素直に受け取っておくことにする。
その方がも気を遣わずにすむだろう。
本当に付き合っていたら、受け取るわけにはいかんが。
「異世界について、色んな物語を調べてみたの」
お互いに咽喉を少し潤してから、はおもむろに口を開いた。
これがもし普通のデートであれば絶対に出ないセリフだ、と心の中で苦笑する。
カフェオレを端に寄せてからはノートを広げる。
そこには細かく書き込みがされていた。
「異世界にトリップする場合、いくつかのパターンがあるみたい」
はノートを指でなぞりながら、それを読み上げる。
「まず、仁王くんが言ってた平行世界の場合。これはタイムスリップやタイムトラベルの話が絡むことがほとんどだった」
「あぁ、俺が読んだのもそんな話だったのう」
何かが原因で(結局その何かが不明瞭な場合が多いのだが)過去にタイムスリップし、過去が変わった世界が分岐して平行世界とされる。
この場合、過去にタイムスリップする前の世界とした後の世界が平行して存在することになる。
「は未来人、ってわけか」
「ううん、元の世界も時代は一緒だよ」
「未来のことがなにかわかったりせんのか?」
「残念ながら、なーんにも」
もしが未来予知のできる存在だったら、この方向性で間違いなかったかもしれないが、そうではないらしい。
「私の世界には中学三年生の仁王くんたちもいたし、時空を超えたわけではないと思う」
結局はそう結論づけた。
ノートの「タイムスリップ」の文字にが二重線を引く。
の表には「原因」と「解決方法」の欄があり、「タイムスリップ」に「解決方法」は「パラレルワールド?」と書いてあった。
……解決方法なし、ということだろうか。タイムスリップでなくてよかったのう。
「次に、ファンタジーの世界にトリップした場合」
「なんだか遠くなったのう」
「う……そうなんだけど、一応ね」
この場合は、超常的な力を持つ第三者が原因となることが多いみたい、とは一息に言った。
「噛まんで言えたのう。えらい、えらい」
「仁王くん、馬鹿にしてるでしょ……」
「まさか」
カフェオレを勧めて宥めながら、続きを待つ。
「謎の声が聞こえたり、古い本に吸い込まれたり、異世界から召喚されたり。トリップするときになにかしら接触がある場合ね」
「はそういうのはあったんか?」
「なかったと思う。混乱しててすっかり思い出すのを忘れてたけど、私はこの世界に来る前も、バスに乗っていたの」
「ほう。確かにお前さん、俺たちが乗っていたバスから降りてきたのう」
俺はもちろんのこと、丸井もが乗っていたことには気が付いていなかった。
はどの瞬間から、あのバスに乗っていたんだろうか。
「夏休み明けの始業式の朝、私は元の世界のバスに乗っていた。そして気が付いたら、こっちの世界のバスに乗っていた」
がノートの上で指をスライドさせるように動かす。
タイムスリップでもなく、第三者の接触があったわけでもない。
ただ平行した世界を横に滑るように移動してきたということだろうか。
の指先を見つめたまま考えていると、「第三者の接触」にも二重線が引かれていった。
ちなみに、「解決方法」には「冒険をして、目的を果たす」と書いてあった。
とりあえず、この世界で冒険はできそうにないな。
「最後に……これが、夢だった場合」
の声は妙に間が抜けて聞こえた。
「私がどこかで寝たきりになっていて、別の世界にきた夢をみているのかもしれない。
それかすごく先の未来で首の後ろにコードが繋がれて、仮想現実を生きているのかも」
「俺も本当は存在しない、ってわけか」
「仁王くんは私が作り出した、理想の王子様だったりして」
ふふっ、とイタズラっぽくが笑う。
……不覚にも少し、ドキッとしてしまった。
ごまかすようにアイスコーヒーを啜るのもわざとらしく映っただろうか。
「色々調べてみたけど、結局なんにもわからなかったなぁ」
「いや、可能性が二つも潰せたじゃろう。大きな進歩ぜよ」
「うん……そうだね。聞いてくれてありがとう、仁王くん」
氷が溶けて薄くなったカフェオレを音を立てずにが飲み干す。
「まだ外に出ても溶けそうじゃのう。もう少しここで涼んでいかんか?」
「うん、そうしよっか。私、ケーキ食べようかな」
は大分前向きになってきた。
そう思うと、なんだか自然と笑みがこぼれる。
「ならここは、理想の王子様が奢ってやるぜよ」
「え!? いいよ、自分で買うよ!」
はぶんぶんと首を振ったが、これはさっき俺をドキッとさせた罰じゃ。
「姫はここでお待ちを」
微笑んでそう囁くと、が赤くなっていくのを見て満足した。
カフェオレのグラスで濡れたの指先が、ノートの文字を少し滲ませていた。
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指先のすこしだけ、むこう 15.2.13