「……」
「あ、仁王くん。柳生くんに用事?」
「!!」
A組を入口からそっと覗き込んでも、探している人物はいなかった。
肩を落としたところで背中から声を掛けられ、思いきりどきりとしてしまう。
意識してゆっくり振りかえると、まさに探していたさんの姿があった。
「……ああ、まあ。おらんみたいじゃけど」
「え? いるよ、ほら」
心臓が早鐘を打っているのを悟られんじゃろうか。
そんな心配をしながら適当に口を開くと、さんにきょとんとした顔をされてしまった。
さんに促されて教室を見ればすぐ近くに柳生の姿があった。
あれ、いつの間に席替えしとったんか。いや、今はそんな場合じゃない。
これは気付かないのが明らかにおかしい距離だ。
「あー……そうじゃのう、いるのう。柳生!」
いかん。このままだとどんなボロを出すかわからない。
本当は特に用事なんてなかったが、とりあえず柳生を呼ぶことにする。
柳生は俺がさんといるのを見て瞬時に状況を把握してくれたらしい、すぐに落ち着いた様子で来てくれる。
「おや、仁王君。どうしました? 教科書でも借りにきたのですか?」
「実はそうナリ。さすが柳生じゃのう、ようわかっとる」
柳生を呼んでどうするのか全く考えていなかったが、柳生はそこまで助け舟を出してくれた。
あとでジュースでも奢るかの。
確か次は公民だったか。幾分安心して「公民を頼む」と告げると、今度は柳生はすまなそうな顔をした。
「すみません、実はさっき丸井君に貸してしまいまして」
「なに、丸井が?」
「はい。一足違いでしたね。……そうだ、さん」
席に戻ろうとしていたさんをすかさず柳生が引き留めた。
……ちょい、待て、柳生。ひょっとして。
柳生が何をするつもりかすぐにわかって、気が焦る。
しかし止める間もなく、柳生は振り向いたさんに何食わぬ顔で尋ねた。
「申し訳ないのですが、もしよかったら仁王君に公民の教科書を貸してあげて頂けませんか?」
ああ。言いおった。
静まっていた心臓がまたどきどきと騒ぎ始める。
落ち着かない気持ちでさんを見ると、さんはすぐに頬笑みをみせた。
「うん、いいよ」
さんはすぐに自分の席(しかも柳生の隣だった)から教科書を出してくれる。
教科書を一冊受け取るまでの間、ラブレターをもらうのかってくらい緊張してしまった。
受け取ったまま少し固まってしまっていると、柳生が「仁王君」と小声でたしなめてくれる。
「サンキューな」
慌てて礼を言う。さんは「いえいえー」とまた微笑みかけてくれる。
まずい、顔が熱くなってきた。
教科書を借りただけで顔を赤くするだなんて恥ずかしくて気付かれるわけにはいかない。
後で返しにくる、と急いで告げて逃げるようにその場を去った。
……多分、あとは柳生がフォローしてくれるだろう。
いつもは昼寝の時間になっている公民の授業だったが、今日はまったく眠くならなかった。
さんの教科書はきちんと要点にアンダーラインが引かれていて、ラクガキなんかのあともない。
頬杖をつきながらぱらぱらと彼女の教科書をめくっていると、どうにも幸せな気分になってくる。
せっかくさんに教科書を借りたのだから、と真面目に授業を受けてみた。
さんの顔ばかり浮かんで、どのみちあまり集中できなかったが。
「丸井、柳生の教科書なら俺が返しとくぞ」
「は? 何の話?」
……やられた。どうやら丸井が教科書を借りに来たというのは柳生の嘘だったらしい。
この俺をペテンに掛けるとは……さすが柳生じゃ。
また変な気を利かせてくれたんじゃろう。
感謝すればいいのか余計なことをと怒ればいいのか。……いや、やっぱり感謝かのう。
しかしA組に向かうとにわかに緊張してきた。
どう返せばいいのか、頭の中でぐるぐるとシミュレートするが、さんを目の前にしたら結局真っ白になってしまいそうだ。
「柳生」
「さん、仁王くんが呼んでますよ」
俺は柳生を呼んだのに、柳生はあっさりと隣のさんに声を掛けよった。
だから心の準備が出来てないんだって。
いかん、少しの距離を小走りで駆け寄ってくるさんはめちゃくちゃ可愛い。
けれどいざ目の前に立たれるとどうしても目を逸らしてしまう。
「ありがとうな。助かったナリ」
「どういたしまして」
結局それだけしか言えなかった。
勇気を出してちらり、と見ると、さんはにこにこ微笑みながら教科書を受け取っていた。
まだ話していたかったが、じゃあ、と身体は勝手にそそくさと彼女から離れてしまう。
落ち着かないまま屋上へエスケープし、ごろごろと昼寝にもならない時間を過ごした。
まともにさんと向かい合えない自分が心底情けなかったが、少し話せただけで馬鹿みたいに幸せだった。
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そーっと様子見 11.9.18