に何があったのか。
俺はそれを知らないといけないだろう。
と別れてからの帰り道、今日のあいつの様子ばかり思い出す。
また何か辛いことがあったのは間違いない。
そしてはそれを俺に知られたくないと思っている。
これ以上迷惑は掛けられないとか、また妙な遠慮をしているんだろう。
だが何も言わない方が俺を心配させるということにが気付かないうちは、知らない振りをしてやった方がいい。
俺が手助けをすると知ればあいつはまた気にしてしまうはずだ。
だったら俺は、に知られないように助けるまでだ。
さっきまでが着ていたコートのポケットに手をつっこむと、何かが入っていることに気づく。
俺は何か入れていた覚えはないのだが。
そう思って取り出してみれば、見覚えのあるキャンディーが一つ手のひらに転がった。
前にがくれたのと同じ種類だ。
いつの間に俺の目を盗んでこんなものを入れていたのだろう。
ふ、と顔が綻ぶ。それにしても頬を染めて恥ずかしがるの表情は可愛かったな、と思い出しながらノンシュガーのフルーツキャンディーを口に放り込んだ。
『昨日はありがとう。今朝は少し寝坊してしまったので、朝練は見に行けません。部活頑張ってね。また学校で』
タイトル『おはよう』、で始まったからのメールにはそう書かれていた。
寝坊か。少なくとも俺が知る限りでは初めてのことだ。
やっと深く眠れるようになってきたのかもしれない、少し前ならそう喜んでいたことだろう。
けれど昨日のことがある。は俺に違うコートを着てきたところを見られたくないのかもしれない。
放課後までに何かうまい言い訳を考えてくるつもりだろうか。
『たまにはのんびり来んしゃい。それから飴、ごちそうさん。美味かったナリ。また後でな』
タイトルをおはようさん、にしてそれだけ返した。
携帯を閉じて、さて、と顔を上げる。
が思い悩む原因として俺が真っ先に考えられるものはもちろん、が智也と呼ぶ元カレの存在だ。
調査に丁度良い相手もいることだし、とりあえずその可能性を当たってみることにした。
早速朝練のときに柳を少し離れたところに呼び出す。
「柳、ちょっとええか」
「ああ。俺もちょうど、お前に話したいことがあったところだ」
「そうなんか? なんじゃ?」
「いや、お前が先に言ってみてくれ」
どこか含みのある柳の様子が気になったが、俺も早く知りたいことがあったのでその言葉に従うことにした。
「最近、お前のクラスのあいつの様子はどうじゃ?」
「あいつならしばらく学校に来ていないぞ。……この前仁王が朝練に遅れてきた次の日からだな」
俺が階段であいつに突き飛ばされ、が足を捻ったあの日だ。
あれ以来姿を見かけない、とは思っていたが、まさか学校に来ていなかったとは……。
柳は俺たちと衝突があったことを理解し、何があったんだ、と目だけで問いかけてきたが、黙っているとすぐに諦めたようだった。
だがそうなると原因はあいつではない。
を苦しめるものは一体何なんだろうか?
「……仁王。俺が前に気をつけてやれ、と言ったことを覚えているか?」
「ああ。あいつのことを言っていたんじゃろう?」
「それだけではない。お前なら気づいていると思ったんだが。……昨日も気づかなかったか?」
「何にじゃ?」
なんだか嫌な予感がする。
急くような気持ちで柳に先を促すと、少し厳しい顔で言った。
「放課後テニス部を見に来ている二年生女子の集団のことだ。彼女たちはお前のファンだ、仁王」
一瞬息がつまった。
知っていた。知っていたが、興味がなかったのでほとんど気にしていなかった。
いてもいなくても同じ、もう随分前からその程度の認識しか持っていなかった。
俺の気はいつだって、そいつらから少し離れたの方にしか向いていなかったのだから。
「昨日の休憩時間、にジャージを貸していただろう。お前は背を向けていたから気づいていなかっただろうが、そのときの彼女たちの様子は少し異常だったぞ」
いつもなら休憩時間になると騒いでいる彼女たちが、不気味なほど沈黙してじっと俺たちの様子を伺っていたらしい。
彼女たちはなぜそんなことをしていたのか?
それがもし、がコートを着ていなかったことに関係しているのだとしたら?
「……まさか」
「がテニス部を見に来るようになったときから、彼女たちはいい顔をしていなかった。自分たちの目の前で仁王と仲良く話している女子が急に現れたのだからな」
「……」
言葉すら失う。
そんなことでに何らかの危害を加えた女子たちの思考回路が理解できないが、それはとりあえず置いておく。
それよりも考えなければならないことが、を苦しめることになったそもそもの原因が俺にある、ということだ。
をコートに連れてきたのも俺なら女子たちがを傷つけたのもとをたどれば俺のせいだ。
俺があいつを巻き込んでしまったらしい。その事実に愕然とする。
「仁王。自分を責めている場合ではないぞ。彼女たちのあの様子からすると、まだ終わりそうにはない。……それにまだ、100%彼女たちがに何かしたと決まっている訳ではない。証拠がある訳でもないのだからな」
「あ、ああ……そうじゃの」
柳の話を聞く限りかなり確定的なことに思えるが、確かに断定はできない。
だが限りなくグレーだ。この先よくよく注意しておかなければならないだろう。
「柳先輩、仁王先輩! もうすぐ朝練終わっちまいますよ!」
「赤也、ちょうど良かった。お前さんにちょっと聞きたいことがある」
「なんスか? 仁王先輩」
柳と目配せをし合ってから、俺たちを呼びに走ってきた赤也に尋ねる。
「放課後、よくテニス部を見に来とる二年の女子たちがおるじゃろ。お前さん、あのコたち知っとるか?」
「ああ、知ってるっスよ。何人か同じクラスだし。つーかあいつら、仁王先輩のファンっスけど」
「最近おかしな様子はなかったか?」
「はあ? んなこと言われても、俺あいつらとはあんま話さねーし……あ、そういえば」
「何じゃ?」
首を傾げていた赤也が何かに思い当ったように声をあげた。
思わず詰め寄ると近すぎっスよ、と嫌がられるが気にしている場合ではない。
「昨日の体育で俺マラソンの記録用紙忘れて、教室に取りに戻ったんスよ。そしたらベランダに女子が何人かいて」
「それがあいつらだったんか?」
「そうっス。んで何してんだこいつら、って思ったらなんか黒い布みたいのに水ぶっかけてて」
どくん。心臓が嫌な音を立てる。
グレーがだんだんとその色味を濃くしていく。
「それから鉢植えの土みたいの投げてぶつけてるんスよ。そんで何してんのおめーら、って声掛けたら『切原には関係ない』で窓ピシャーンと閉められて、ちょっとムカついたんスけど、なんか気持ち悪い感じだったっつーか」
「……その黒い布、ひょっとしてコートじゃなかったか?」
「あー、そうかもしんないっスねえ。なんか結構厚手な感じだったような気がするっス」
柳と顔を見合せて頷きあった。
俺はに何があったのか直接聞いた訳ではない。
ただコートが着ていられない状態になった、ということがわかっているだけだ。
『転んで、コート汚しちゃって』。どうしたのか、と尋ねた俺には焦った様子でそう口にした。
転んだことは嘘でも、コートが汚れていたことが確かなのだとしたら。
ずぶ濡れで泥まみれになったコートとその符号は一致する。
「証拠、というには不十分だがほぼ間違いないだろう」
「……ああ」
「仁王、気持ちはわかるが落ち着いて行動しろ。下手に刺激すると却ってが危険だ」
「わかっとる」
参謀のお墨付きも出た、その真実はあまりにグロテスクだ。
湧きあがる怒りを深く呼吸してなんとか抑える。
昨日のの、手を冷たくしたまま沈み込んだ横顔を思い出す。
汚されたコートを見たときあいつはいったいどんな気持ちになったんだろうか。
俺に何も話そうとしなかったあいつはまた、一人で抱え込んで苦しんでいるのだ。
友達にも恐らく家族にも何も言わないあいつを、俺でなければ誰が救ってやれるのだろう。
そもそも今回は俺の責任がかなり大きい。
が俺に暴言を吐いた元カレの頬を打ったように、今度は俺が対処をするべき問題だ。
「何かあったんスか? ひょっとして昨日先輩が仁王先輩のジャージ着てたことと関係あるんスか?」
柳とは赤也に聞こえない声で話していたが、鋭いことを聞いてくる。
ここで赤也が関わってきたら話はもっとややこしいことになるだろう。
さてどうかわすか、と考えていると、急に赤也の表情が緩んだ。
「つーか、制服の上からジャージ、っつーのもなんかいいっスね。袖で半分手が隠れてるのとか、裾でスカートがほとんど隠れてるのとか、かなりぐっときたっス」
「……」
赤也が単純な人間で助かった。
だが……。
「赤也。お前さん、をあんまり変な目で見るんじゃなか」
「べ、別にそんなつもりはねえっス! ……てか、仁王先輩目と声がマジすぎで怖えよ」
「何か言ったか?」
「いえ、何も! あ、朝練終わるんで、俺先に戻るっス! 先輩たちもすぐ上がってくださいよ!」
「ああ」
逃げるように去って行った赤也の背中を目で追い、思わずため息をついた。
ひとまずことの真相は見えたが、本当の問題はまだこれからだ。
「仁王。出来ることがあれば俺も協力しよう。昨日の彼女たちの様子からして、恐らくあまりのんびりしている暇はない」
「そうじゃの。すぐにでも問い詰めてやりたい気分じゃ」
「だがまず、お前は頭を冷やせ。今のままでは事態をさらに深刻にする恐れがある」
「……」
わかっている。柳の言うことももっともだ。
いきなり俺があいつらを責め立てたとして、まったく嬉しくない話だが俺のファンであるらしいあいつらが逆上してさらにに危害を加える可能性も低くはない。
「赤也にも少し協力してもらった方がいいだろう。詳しい話は伏せて、それとなく彼女たちの様子を見てもらった方がいい。俺から話をしておこう」
「……ああ、頼む」
冷静に話をする柳の様子に俺も少しずつ落ち着いてきた。
だがまだ当分怒りの熱は治まりそうにない。
の様子を見に一度教室に戻ったら少し、屋上で頭を冷やそう。
「すまんの、柳。恩に着るぜよ」
「気にするな。俺はお前たちの関係を好ましく思っているからな」
そうやって薄く笑う参謀はだが、まったく頼りになる存在だと思う。
先に戻って赤也に話をしてくる、と走っていった柳の背を見送り、一人になった俺はなんとしてもを守らなければ、と静かに決意を固めた。
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14.疑惑/証拠/真実 09.10.19