早朝の保健室はまだ開いていなかった。
急いで職員室から鍵を借り、治療は俺がすることにする。

「ほら、足を出しんしゃい」
「う、うん……」

多少ごねると思ったが自分ではどうにもならないことがわかっているからだろう、大人しく触らせてくれた。
ベッドに腰かけさせたの前に跪き、素足をそっと手に取る。

「少し腫れとるが、テーピングして運動を控えればすぐによくなるじゃろう」

折れているようなこともないようで、安心してから事実だけを事務的に告げた。
意識してそうしないと、どうも変な方向に思考がいってしまう。
足首から上に目がいかないよう自制するのに少し苦労した。

「少し冷やすナリ」

俺は保健室でサボることも多いから、どこになにがあるのかも大体把握していた。
氷嚢を取り出してきたりテーピングの準備をしていると、「仁王くんって保健委員だっけ?」とに聞かれて苦笑した。

「手慣れてるね、仁王くん」
「部活が部活じゃからの。慣れたもんぜよ。女子にするのはが初めてじゃけど」
「そ、そう」

ちら、と顔を見上げると、は少しだけ赤くなっていた。
その表情に満足し、テープで留めて治療を終える。
色々あったが役得だったな、と思ってしまうのは仕方のないことだろう。

「よし、これで完成じゃ。今日は安静にしときんしゃい」
「わかりました。ありがとう、仁王くん」
「礼には及ばんナリ」

はしばらく足の調子を確かめるように揺らしたりしていたが、やがて決心したように顔を上げた。

「仁王くん。お願いがあるの」
「わかっとる。今日のことは誰にも言わん」

ほとんど間髪入れずに返すと、は驚いたように目を見開いた。
ぽんぽん、と頭を撫でてやりながら浮かんだ微笑みは自然なものだ。
はさっき、「私はまだ、智也のことが好きかもしれない」と言った。
よりを戻そうという誘いこそはねのけたものの、まだ奴のことを信じている部分があるのだろう。

「智也はすごく弱い人なんだ。でもちゃんと話せばわかってくれると思う。今は受験で色々あったから無理かもしれないけど、もっと落ち着いたらきっと、仁王くんを突き飛ばしたことも反省してくれると思うから」

口を開いたり、閉じたり、俯いたり、唇を噛んだりしながらつっかえつっかえが語った言葉にはやるせなさや辛さ、奴を肯定してやりたいという気持ち、色々なものがこめられている気がした。
らしい。そういうことになるんだろう。
でもは盲目な訳じゃない。きっといい方向に向かっていくのだと感じさせる。

「仁王くんには本当に申し訳ないけれど、もうちょっと待っていてもらってもいいかな」
「ああ。お前さんのしたいようにしんしゃい」

もし奴が突き飛ばしたのが俺じゃなくてだったら、がなんと言おうと俺はあいつを許さなかっただろう。
結果としてが怪我をしたことには憤りを感じるが、この状況で尊重すべきなのはの気持ちだ。
俺はができるだけ傷つかぬよう、そばで見守ってやりたいと思う。
いまはまだ、それだけでいい。

「ありがとう」

俯くの頭からしばらく手を放さなかった。
もう慣れてきた感触がやけに心地いい。
好きだ、と思った。
いつからか心の奥底で漂っていて、そしてすっと表面に浮かんできたその感情を不思議なほど自然に受け入れる。

「さて、俺はちょっとだけ部活に顔を出してくる。お前さんはもう少しここで休んでいきんしゃい」
「はい。大人しくしています」
「良い返事じゃ。あとで迎えにくるからちゃんと待っておくぜよ」
「え? 大丈夫だよ、ひとりで戻れるから」
「まだ歩きにくいじゃろ。誰かの肩があった方がいい」

実際、いま少し休んだだけじゃ回復はしないはずだ。
真面目な声で言うとじゃあお願いします、と申し訳なさそうに頷いた。

「いいこじゃ。また後での」
「うん。部活頑張ってね。……遅れさせちゃって、ごめんなさい」
「謝りなさんな。お前さんは気にしすぎじゃ。……ああ、そうじゃ」

大切なことを忘れとった、大仰な声音でいいながらの足もとにしゃがみこむ。
不思議そうにのぞきこんでくるのテーピングした足首に指を触れ、魔法の呪文を口にした。

「痛いの痛いの、飛んでいけ」

そっと撫でてから手を放し、顔をあげる。
きょとんとしていたは、それからすぐにふ、と息をもらすように笑った。

「あはは! 仁王くんがそれやると、すごく効きそう。……ありがとう!」
「ああ。やっと笑ったのう」

確かに俺の呪文はよく効いたようだ。
はもう一度、俺の目を見て少し照れたように微笑む。
こうしていると初めて屋上でを慰めていたときのことを思い出す。
あれもまだ三学期の出来事だったが、もう随分前のことのように思える。
少しだけ天井をあおいだも同じことを思い出しているのかもしれない。

「また後で。仁王くん」
「ああ、また後での」

立ち上がり手を振って、今度こそ保健室をあとにする。

静かに閉めた扉に寄りかかり、考えるのはのことばかりだ。
ああ、参った。
どうしようもなく抑えられない感情にとらわれて、無意識に口元を手で覆う。
浮かれてばかりもいられないが、今は少しだけこの気持ちに浸ることにした。


←back  next→

home


12.痛いの痛いの、飛んでいけ  09.9.27