どうしよう。
二人が別々の方向に去っていってから、私は思い悩んでいた。
まさか切原くんが光に試合を申し込むなんて。
やっぱり二年生同士、光のテニスが気になるのだろうか。

光もすごく強そうだった。
切原くんが負ければ、鉄拳制裁が待っているだろう。
切原くんが負ける姿を見るのは嫌だ。

「……」

私は少しの間立ち尽くし、切原くんが去って行った方向へと足を向けた。

「切原くん」

小走りで彼の後を追い、やっと追いついて後ろから声を掛ける。
振り向いた彼は少し驚いたような顔をしたけれど、すぐにぷい、と前に向き直ってしまった。
それから軽いストレッチを始める。

「どうしたの? 急に試合なんて」
「……には関係ねぇだろ」
「え?」

私が驚いたのは、もちろん関係ねぇ、のところではない。
急に名前の方を呼ばれたからだ。

「き、切原くん? いま……」
「なんだよ。アイツには名前で呼ばせてるのに、俺はダメなのかよ?」

呼ばせてる……というか、光と私はお互いに名前しか名乗っていない。
光なんて最初はHNだった。
メールでのやり取りが多くなってから、『HNだとなんか変な気分や』と、光って呼んでくれや、と言われた。
彼の苗字も今日初めて知ったのだ。

「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、別にいいだろ。……お前も、赤也でいいし」

切原くんがこちらに顔を向けないまま、つぶやくようにそう言う。
急に言われても、なんだか恥ずかしいな……。

「わ、わかった。じゃあ私も、赤也って呼ぶね」
「……お、おう」

切原くん……じゃなかった、赤也もやっぱり、ちょっと恥ずかしそうだ。
ああ、この微妙な沈黙、どうしよう……。

、俺が勝ったら、帰りに顔貸してくれ」
「う、うん、かまわないけど」

なんだろう、改めてそんな風に言われると、緊張してしまう。
赤也は光に勝つんだろうか。
赤也にも光にもどちらにも負けて欲しくない、なんて、そんなわがままは叶わないだろう。

「そろそろか。ちゃんと見てろよ、
「うん。がんばってね、赤也」

ずっと私と目を合わせなかった赤也は、やっと私を見て、「任せとけ」と笑った。
こんなにどきどきするのは急に名前で呼び合うことになったからだろうか。
赤也の少し後ろについて、私もコートに向かった。


コートにはすでに光が入っていた。
光は一緒に戻ってきた赤也ではなく、私の方をじっと見た。
……なんだかすごく、ピリピリしている気がする。
試合前で張りつめているのか、それとも私が赤也についていったのを怒っているんだろうか。
せっかく光に会えたんだから、声を掛けてあげればよかったのかもしれない。
……光はそんなこと、気にしないかな。

、俺、絶対勝つからな」

赤也の勝利宣言はいつものことだけれど、今日は真剣な雰囲気で、頷かずにはいられなかった。
光のことも応援したいけれど、私は何も言わずに見守るしかないのかもしれない。


赤也と光のテニスは、二人の性格そのものを表すように正反対だった。
熱く攻撃的な赤也のプレイ、冷静でセンスのある光のプレイ。
赤也の強さはずっと目の前で見ていたから知り尽くしている。
それに拮抗する光も相当な実力者だ。

「さすがは四天宝寺の天才だな。赤也をここまで苦戦させるとは」
「柳先輩」

試合は6-6、タイブレークにもつれこんでいた。
うちも四天宝寺も、みんな赤也と光の試合を観戦していた。
全国大会は目前だか、未来を担う二年生同士の試合だ。
先輩たちが気にするのは当然だろう。

「これはどちらにとっても負けられない戦いだろう。……、お前のためにな」
「え? 私ですか?」
「俺としてはやはり赤也を応援して欲しいと思うが……。お前の気持ちはどうだ、

柳先輩に静かに問いかけられ、白熱した試合を続けるコートの二人を見つめる。
赤也はもう赤目になっている。
赤目になった赤也のプレイは怖いし、自分の身を削るようなテニスに胸が痛むこともあるけれど、赤也の勝利への執着が私は嫌いではない。

赤也が勝ったら、私になんの用事があるんだろう。
知りたい、と思った。
マネージャーととしてずっと近くにいた、それが当たり前すぎてそんなこと思ったこともなかったけれど、赤也のことが、もっと知りたい。

「私は……赤也に、勝ってほしいです」
「そうか」

柳先輩が優しく微笑んだ。
長かった試合も、とうとうマッチポイントだ。

「ゲームセット! ウォンバイ切原、7-6」

赤也が、勝った。
汗だくの二人がコート越しに握手を交わす。
二人とも、本当に強くてすごい、胸の熱くなる試合だった。
うちも四天宝寺も、やがては彼らのものになるのだろう。
そのときはどんな戦いが繰り広げられるのか、今からぞくぞくした。


「光」

制服に着替え、挨拶も終わり、帰ろうとする光に声を掛けた。
夕焼けの中で振り返る彼は、やはりどこか気だるげだ。

「財前、俺らは先に行っとるで」

部長さんたちが、遠山くんを引っ張りながら遠ざかっていく。
光はひとつため息を吐き、仕方なさそうに私に向き直った。

「なんや?」
「あ、その……お疲れ様。やっぱりテニス、強いんだね」
「負けたけどな」

せっかく会えた光とあっさり別れたくなくて声を掛けてしまったけれど、光は迷惑そうだ。
仕方ない。けれどこれだけは、伝えたい。

「次の新曲も、楽しみにしてるから」

なんだか気まずくなってしまて、もしかしたら今までのようなメールのやり取りはもうできないのかもしれない。
それはさみしかったけれど、それでも私が光の曲の大ファンであることに変わりはない。

……、ああ、せやな、お前は俺の一番のファンやからな」

光が少し眉尻を下げて笑う。
少しせつなそうな、そんな笑い方を彼がするのが意外だった。

「もっとお前が感動して、今日のこと後悔するような曲、作ったるで」

後悔する、っていうのはよくわからなかったけれど、光がこれからどんな曲を作るのか、考えるだけでわくわくした。

「うん、楽しみにしてる」
「……今ならせつないメロディーがよう浮かびそうやわ」

どうか遠くを見ながらつぶやいた光の言葉が聞こえなくて、聞き返す。

「いや、別に。ほな、な」
!」

光が手を挙げて別れの言葉を言ったとき、後ろから赤也の声が聞こえてきて振り返った。
もう一度光の方を見たら、彼はもう背中を向けて遠ざかっていく。

「なんしてんだよ、お前。俺が勝ったら顔貸せって、言ったろ」
「ちょっと光に挨拶してただけだよ。……おめでとう、赤也」

最後はちゃんと挨拶できなかったな。
そう思いながらも、赤也に向き直る。
赤也はまあな、と嬉しそうな顔をした。

「それで、顔貸せっていうのは?」
「あ、ああ……」

夕陽に照らされた赤也が、言葉を濁してうつむいた。
な、なんだろう。なんだかこのシチュエーション、どきどきしてしまう。

、俺、お前のことが好きだ」
「……えっ」

どきどきがもっと大きくなって、自分の心音が赤也にも聞こえそうなくらいだった。
毎日そばで見てきた赤也が、真剣な顔で、私のことを好きだと言った。

「だから、俺と……付き合ってくれ!」

赤也が一歩ずい、と近寄ってきて、両肩をつかまれる。
どうしよう。
赤也が私のこと、好きだったなんて……。
周りは見事なオレンジだけれど、私の頭の中は真昼の太陽のように真っ白だ。

「あ、赤也……ごめん、私、赤也のことそういう風に見たことなくて……」

ここで謝ってしまったら、もう告白を断ったことになるのかもしれない。
でも、こんな真剣な彼の前でごまかしたりできない。

「お前は俺のこと、好きじゃないのかよ」
「そんなわけないよ! その、友達としては、好き、だけど……」

友達としての「好き」すら意識したことはなかった。
うっすらと泣きそうな彼の顔をまともに見ることができない。

「でも……赤也のこと、もっと知りたいって、思った」

ついさっきまで「切原くん」だった彼のことが、気になりだしたのは確かだった。
と呼ばれて、赤也と呼んで、彼の熱が迸る試合を見て。
彼と自分のつま先を見ていた視線を、きゅっと上げる。

「これからは、赤也のことを意識して見ると思う。返事はそれからでもいいかな?」

結ばれた視線から始まるのは、きっと素敵な未来だと思った。

「わかったよ。……でも、あんまり待てねぇからな、俺」
「うん。ありがとう、赤也」

待たせることはないだろう。
赤也の名前を呼ぶことが、こんなにも嬉しいんだから。


AKAYA Root END.


15.2.27