「焦らされるのも悪かねえ。だが、もういいだろう?」
私の気持ちを何ひとつ理解していないらしい跡部くんは、私の髪を弄んでいた手を頬へと滑らせた。
耳に息がかかるくらい彼の唇が近づく。
試合ではあんなに汗をかいていたのに、もう爽やかでセクシーな香水の香りしかしない。
まったく身動きのできない私に、跡部くんは逆らう気になれなくなる艶やかな声で囁いた。
「正直に、好きって言えよ」
どくどくと真っ白な頭の中で、その言葉が幾重にも反響する。
正直に、好きだと。
どきどきと高鳴り続ける鼓動、……そうか、私は好きなんだ。
彼の一言で、気付いた。私はとっくに好きになっていた、恋をしていたのだ。
「……そうだね。わかった。正直に言うから、手を放して」
跡部くんは耳元から顔をはなし、フッと自信家の表情できれいに微笑む。
強く掴まれていた手首はやっと解放され、空気に触れてじんと痛んだ。
私はすっと大きく息を吸い込み、彼の隣りをひと息に駆け抜ける。
「ん……!? おい、!」
背後から名前を呼ぶ声にはもう振り向かない。
私は今度こそ逃げようとも思わずに、まっすぐ人に囲まれた彼に向かう。
「忍足くん!」
私の声に真っ先に気付いてくれたのはやっぱり忍足くんだった。
ちょっとごめんな、と言いながら女の子たちを優しく避け、目の前まで来てくれた。
後ろには跡部くんがいて、前には怖い顔をした女の子たちがいたけれど、私はもう躊躇わなかった。
突飛な行動ばかりする跡部くんに毒されたのかな、一瞬だけそう考えてなんだかおかしくなる。
「私、忍足くんのことが好き」
私の言葉はすごく平凡なものだったけれど、それが奇人でも変人でもない私が伝えたい素直な気持ちだった。
私の相談を真剣に、そして常識的な感覚をもって忍足くんは聞いてくれた。
とても頼りになる、そして優しい彼のことを、私はここ数日たくさん考えていた。
いつの間にこんなにも、彼に惹かれていたのだ。
忍足くんは少しだけ驚いた顔をしたけれど、すぐに眼鏡の奥の瞳を優しく細めた。
「めっちゃ嬉しいわ。俺もさんのこと、ほんまに好きになってん」
「あ……ほ、ほんとに?」
「ほんまに。このまま跡部に渡したない、って思ってる自分に気づいたんや」
忍足くんはふんわり私の髪を撫でたかと思うと、突然ぎゅっと抱きしめてきた。
背の高い彼の身体に全身が埋まる。
忍足くんもやっぱりもう汗の匂いなんてしなくて、清潔でミステリアスな良い香りがした。
「なあ、さん。俺の彼女になって」
「うん……!」
今日まではただのクラスメイト、席がお隣だという縁しかなかったのに、恋人同士になってしまった。
嬉しくて、少し恥ずかしくて、すごくどきどきする。
好きだって、告げて良かった。今度は逃げないで良かった。
私に忍足くんの魅力を気付かせてくれて、私の背中を押してくれたのは跡部くんだ。
変で奇抜な人だけれど、やっぱりあの人には上に立つに足る力があるのだろう。
私は初めて彼に感謝し、そして尊敬する気持ちになれた。
「待て、忍足……! これはどういうことだ!?」
その跡部くんの声が聞こえて、私は振り向いた。
初めて彼に声を掛けられた日のことを思い出す。お前、彼氏いないだろ? そう彼は言った。
あのときは突然だったし、実際に彼氏がいなかったので失礼なと怒ることもできず逃げてしまった。
今もって彼が声を掛けてきた意味はよくわからないけれど、こうして彼氏のできた今、私に意味のないちょっかいを出すことは多分ないだろう。
キングの気まぐれは私なんかじゃない、別の対象に移るに違いない。
「悪いなあ、跡部。そういうことやねん。俺だって何度も忠告はしたんや。恨まんといてな」
「何を馬鹿なこと言ってやがる! 、お前が好きなのは俺のはずだ!」
跡部くんは、この期に及んで不思議なことを言い出した。
ひょっとしてさっきの決死の告白は聞こえていなかったのだろうか?
私は今度こそはっきりと、忍足くんが好きだと言ったはずだ。
丸くなった目のまま忍足くんを見上げると、彼は「さて、どないする?」と苦笑しながら聞いていた。
「……逃げる」
「そやな。ほな、行こか」
私の返答はわかりきっていたのだろう、忍足くんは途端に軽々と私を抱えあげた。
長い脚を前に出して走り出す。お姫様抱っこで逃亡だなんて、なんともロマンチックだ。
この舞台を用意してくれたのも結局は跡部くんなのだから、やっぱり彼にはなにより感謝しないといけないのかもしれない。
幸い跡部くんは「どいうことですか跡部様!」と詰め寄る女の子たちにあっという間に囲まれ、私たちの逃げ道を遮ることはなかった。
「俺は諦めねえからな!」と叫んでいたのが気になったが、彼の言動は気にしだすときりがないだろう。
私は私を抱えて走る、この素敵な彼氏だけに集中していよう。
「これからも大変そうやけど、一緒に頑張ろうな」
「うん。よろしくね、忍足くん」
「ああ。よろしゅうな、」
あまりに自然に名前を呼ばれ、恥ずかしさに一瞬逃げたくなったけれど、彼の腕の中にいて逃げ場などあるはずがない。それに彼の前から逃げる必要はないのだ。
彼とならどこまでもまっすぐな日々を過ごせる気がした。
end.
自信家な彼のセリフ 5.正直に、好きって言えよ 確かに恋だった様
08.12.26