跡部くんに珍妙な言葉を吐かれたときの私の対処法。それは逃げの一手しかない。
けれど今回ばかりは逃げ場がなかった。
前は壁だし、後ろも横も目がトロンとした女の子たちに囲まれている。
絶体絶命、四面楚歌、そんな私を助けてくれたのはやっぱり忍足くんだった。

「おい跡部、部員らが困ってるからはよう戻ってくれんと」

いかにもプライドの高い、俺様な跡部くんに注意を促すのはきっと相当な勇気だろう。
忍足くんってば、男らしい。

「チッ。……いや、そうだな」

跡部くんは舌打ちしたあと、何かをひとりで納得して不敵に微笑んだ。
あ、なんかまた嫌な予感が……。
跡部くんは呆れた顔をしている忍足くんの顔を鼻を鳴らしながら見たあと、射抜くような視線を私にくれた。

「お前は俺を選ぶ、違うか?」

疑問形ではあったけれど、違うか? のあとに違わないだろう、と続きそうな言い方だった。あれだ、反語だ。
どういうシチュエーションで彼を選べばいいんだろう、相変わらず跡部くんの言葉は理解を超える。
跡部くんは自信満々に微笑んだままびしっと踵を返し、離れてくれた。とりあえず、良かった……。
忍足くんに向かってありがとう、のつもりで両手を合わせると、苦笑しながら軽く手を振ってくれた。

レギュラー陣は試合をする! 跡部くんの指示が広いコートに響き渡る。
私はもう帰ってしまいたかったけれど、その所為でもし忍足くんに迷惑がかかったら、と思うと帰るに帰れない。
ちくちくと針のような女の子たちの視線に耐えながらも、最前列から動かないことにする。

忍足くんと跡部くんが何か話していると思ったら、目の前のコートに今度は二人が立った。
彼らが試合をするのだ。やっと忍足くんのテニスが見られる! 憂鬱が少し晴れ、楽しみになってきた。
練習の試合なのに、二人ともすごく真剣な顔をしていた。
周りのコたちもそれに気づいたみたいで、さっきまでの歓声が嘘のようにしんと静まり返っていた。
審判役の掛け声とともに試合が始まる。

試合は最初からお互い全力のように見えた。
跡部くんはさっきも見たように、力強くて、それでいて華やかな技を惜しまず繰り出す。
対する忍足くんは、それを静かにいなしたり緩急をつけたり、数えきれないほどの打ち方をしていた。
すごい、二人ともすごいのだ。氷帝テニス部って、話に聞くよりもずっとすごい存在だった。

二人の試合の盛り上がりは異常なほどだった。見にきたみんながこの打ち合いに集中している。
常に跡部くんが一歩リードしている感じだったけれど、忍足くんは冷静にその差を詰めようとしている。
跡部様がんばって、忍足くんがんばって、それぞれに対する歓声が試合の流れとともにヒートアップしていた。

逃げたいと思っていたことなどすっかり忘れ、私も二人の試合に夢中だった。
あんなに腰が引けていたのに今じゃ客席の壁にぴったり張り付いていることにも自分で気付かなかった。
跡部くんもすごい。忍足くんもすごい。
でも私はやっぱり、心の中でずっと忍足くんを応援していた。

長かったのか短かったのか、時間の経過もよくわからない。
試合は跡部くん優勢のまま、マッチポイントを迎えていた。
コートから迸る緊張感が周囲を丸々飲み込んでいる。
跡部くんがサーブをしようとボールを高く投げたとき、私はついに声を発していた。

「がんばって!」

結局、その一球で勝負は決まった。勝ったのは跡部くん。
忍足くんが負けてしまったのは残念だったけれど、とても素敵なものを見せてもらった。
熱気冷めやらぬギャラリーから拍手が沸き起こる。私も自然と、感動する気持ちを拍手へと乗せていた。

部活が終わったあとも、立ち去りがたくて部室の前をうろうろしていた。
最初は見学もまったく乗り気じゃなかったけれど、あんなにすごいものを見せられては仕方がない。
忍足くんに一言声を掛けたい。明日になればすぐに会えるけれど、いま話をしたい気がした。

でもそう思っているのは私だけじゃないらしく、芸能人の出待ちよろしく女の子たちが集まっている。
なんだか怖かったので、みんなからは少し離れて忍足くんを待つことにした。
他の人たちの話が落ち着いたら、最後に声を掛けよう。

制服に着替えた部員が続々と外に出はじめた。
きゃーっという歓声とともに女の子たちが群がっていくのはやっぱりレギュラー。
真打ちのように最後に出てきて、あっという間に人の山ができる。すごい……。
でもやっぱり、忍足くんと跡部くんの周りが一際人が多かった。
あんな試合をしていたのだから、当然だろう。とはいえこれじゃあ、当分近づくことすらできそうにない。
なんだか忍足くんをとても遠く感じてしまう。教室で他愛もない話をしていたのが幻だったように思えてくる。

帰ろうかな……。自分がここにいても意味はない気がしてきた。
いま私が声を掛けたところで、疲れている忍足くんに気を遣わせてしまうだけだろう。
明日になれば、きっと普通に話せる。そう信じて、そっと立ち去ることにした。

!」

背後から朗々と叫ばれた声に、私は瞬時に後悔した。
さっさと帰っておけばよかった!
テニス部を見に来たのも、もともとは跡部くんの命令だったことをすっかり忘れていた。
……よし、聞こえなかった振りをして、走って逃げよう。
しかし最初の一歩を踏み出した瞬間、手首を引っ張られた。
あの人垣の中にいたのに、もうすぐ後ろまで来ていたのだ。さすが、並の運動神経ではない。
感心してる場合じゃ、ないけど。ギャラリーも多いんだし、頼むからこれ以上変な発言はしないでほしい。

「俺を待っていたんだろう? 良い心掛けじゃねえか」

渋々振り向くと、私の渋面をまるっと無視して彼はさっそく謎の決め付けをしてきた。
私が待っていたのは跡部くんじゃなくて忍足くんだ。
しかしそれを伝えてもいいものかと躊躇している間に、彼は唯我独尊の本領を発揮し始める。

「さっきの応援も効いたぜ。マッチポイントの場面でがんばって、とは、なかなかかわいいじゃねえか」

違うの、跡部くん。私、それも忍足くんに対して言ったんだよ……。
私はいまさら自分の過ちに気付く。あそこはがんばって、ではなく、忍足くんがんばって、と言うべきだったのだ。
そうすればいくら跡部くんでも、解釈を曲げたりはしなかっただろう。

「やっぱりお前は俺を選んだな。

ああ、もう、完璧に勘違いしている!
そもそも選んだ、って、なんなんだ。私が跡部くんを何に選んだというのだ。
こうなるとついつい、忍足くんに頼ろうとしてしまう。
けれど彼はまだ女の子たちに囲まれていて、今回ばかりは助けてもらえそうになかった。
跡部くんにしっかり手首を握られているので得意技の「逃げる」も発動できない。

「緊張して言葉もでないか? フン、かわいいやつだな……」

跡部くんはあいている方の手で私の髪をひと房掴み、……キスした!
大変だ、すごく恥ずかしい。ていうか、ありえない。
言動だけじゃなく行動もおかしい人なんだ。そういえばこないだだって、突然頭を撫でられた。
顔も声も色っぽい人だから、私だってどきどきしない訳ではない。
でもやっぱりだめだ、ああ、びっくりしすぎて涙が出てきた……。
助けて、忍足くん。混乱する頭の中で、思い浮かぶのは彼のことばかりだった。


自信家な彼のセリフ 4.俺を選ぶ、違うか?  確かに恋だった
08.12.26