このベッドの上で目覚めるのはもう何度目だろう。
前まではほとんど雅治の匂いしかしなかったのに、きっと私の匂いもすっかり染み着いてしまっている。
深い海の底を思わせる暗いブルーのシーツに手を滑らせるとさっきまで雅治としていた事を思い出して、じわりと身体の奥から濡れていくのを感じた。
「、目が覚めたんか」
バスルームの方から白くて細い上半身を晒したままの雅治が出てきた。
ひどく優しい声と表情が私にだけとろとろと注がれる。
「……おはよう、雅治」
「今はこんばんは、の時間じゃな」
私は雅治に軟禁されていた。
部屋を歩き回ることは許されていたけれど、外に出ることは禁止されていた。
雅治の部屋にはあまり物がない。
何かをすることも、する気力もあまりない私はほとんど雅治のベッドの上から動いていなかった。
こんな生活を続けてもう何日目になるのだろう。
日付も曜日も、時間の感覚すらもうなかった。
「ん……」
「どうした? またしたいんか?」
雅治の姿を見るだけで、声を聞くだけで、身体が反応してしまってどうしようもなく身じろぐ。
くつくつと静かに、慈しむように笑いながらそっと雅治が近寄ってきた。
早く、急く気持ちで雅治を見上げる。
早く来て、私に触れて。
二人用には少し狭いベッドに雅治が身を乗せると、ギシ、と微かにベッドが軋む。
雅治の重みだけ沈み込むこの瞬間が好きだった。
「雅治……」
「なんじゃ? 」
「好き」
「ああ。俺も、好いとうよ」
とろけるような彼の微笑みが甘く降り注ぐ。
私の前髪を撫でるようにあげて、額に口づける。
両目、鼻、頬、耳、唇、顔のパーツのひとつひとつに印をつけるようにキスしていく。
私と雅治はもともと恋人同士だった。
軟禁などし合うこともない、どこにでもいる幸福な恋人同士だった。
けれど雅治は少し変わってしまった。
そして多分私自身、変わってしまったのだ。
「もうぐしゃぐしゃじゃのう」
「あっ……」
雅治の手が素肌を撫でながら下に向かうと、待ちわびたように身体が跳ねた。
私の思考もなにもかも、身体中を雅治に愛撫される毎日の中でとっくに甘く白く濁りきっている。
私たちが変わってしまった原因は私にあった。
アブノーマルで厄介な男に目をつけられてしまったのだ。
彼は私たちの友人で、普通の人物のはずだった。
ところが彼の狂気は私の前で徐々に姿を現すようになっていった。
詳しいことはもうあまり思い出したくないしどうでもいいけれど、ストーカーまがいの行動をされた末、レイプされそうになったのだ。
ほかでもない雅治に助けられて私は無事だったのだけれど、それから少し、雅治は変わってしまった。
「、どうして欲しい? お前さんのためならなんでもしちゃる」
この部屋の中だけでなら。
その部分だけ低い声で強く囁かれ、雅治の熱い呼吸が耳に掛かる。
言われなくても、外に出たいなどと私はもう望まないのに。
そう答える代わりに、雅治の首に腕を回してぎゅっとしがみついた。
あの事件の後から彼は私の傍を四六時中離れなくなった。
心配だから片時も一人にしておけない、と彼は言った。ひどく過保護になったのだ。
私もたとえ友人でも信用できない、という恐怖心が芽生えていたので、それに甘えてしまった。
私たちは離れたら死ぬ、とでもいうかのように一日中一緒にいるようになった。
「お前さんは本当に可愛いのう。頭がおかしくなりそうじゃ」
雅治、私たちはもうとっくに狂っているよ。
それを自覚しているだけ、私の方がほんの少し正常なのかもしれない。
けれどそんなことを告げる必要性など微塵もなかった。
だから私は雅治の口で自分の口を塞ぐ。
私がいて、雅治がいる。
そして私たちはこれ以上ないほど愛し合っているのだ。
この世界にもう、他に何を望むことがあるだろうか。
私たちが一日のうちで一緒にいる時間は日に日に長くなって、雅治が私を自分の部屋に閉じこめるまでそう日数はかからなかった。
俺の部屋を出ないで。もう俺以外の人間の目には触れないで。
このベッドの上に座って、雅治は私の両手を握りしめて震えながらそう言った。
私が頷くと、彼は死の恐怖から解放されたかのような安堵の笑みを見せた。
彼の震えはぴたりと止まり、私を抱きしめながらベッドに沈み込む。
暗いブルーはそんな私たちを寛大に受け入れた。
「退屈じゃなか? 今度新しいオモチャでも買ってくるきに」
バイブや手錠など、雅治が買い集めてきたいかがわしいオモチャの類はベッドの周りの床に転がり、彼の気まぐれでたまに遊んだ。
私が気持ち良くなると雅治も嬉しそうにするので、道具を使うのは嫌いじゃない。
でももしそれらがなくても、私は平気だった。退屈なんかじゃない。
「うん。ありがとう。でも雅治がいればいいよ」
私は雅治以外の人間がどこにいて、何をしているのか知らない。
この世界は雅治が唯一で全てだった。
「。愛しとうよ」
雅治は泣きそうな顔で、声で、壊れものを扱うようにそっと、でも耐えきれなくなったように力をこめて強く、私を抱きしめる。
もう覚えきっている雅治の背中のラインを指でそっとなぞる。
息苦しいくらい強く抱かれていたので、いっそのこと、と少し息を止めた。
いま世界で呼吸をしているのは彼だけだ。
そう思うとたまらなく悲しくなって、可哀想になって、彼のために私は息を吹き返す。
深い海の底。そこはきっと始まりの場所で、終わりの場所だ。
雅治が身体の中に入ってくるのを感じながら、産声をあげるときのように感じたままに声を出す。
私たちは熟れた身体と甘く腐った心を繋ぎながら、ゆっくりと沈んでいくだけだ。
私はいずれきっと、幸福のまま雅治のベッドに溶けるだろう。
深海ベッド 09.11.26
♪犬猫芝居 / People In The Box