「仁王、なに聞いてんの?」

それは油断としかいいようがなかった。
言い訳するとすれば今年の夏が暑すぎたのがいけない。
指一本動かすのもダルいような陽気の中で、部活の休憩時間に一時的に木陰へ避難したら少し気が遠くなった。
誰かが近づくのはわかったのに身体が反応しなかった、その上身につけていたイヤフォンを奪われるなんて最悪の失態だった。

「……? なんだ、これ? ラジオ? でもこの声、なんか聞いたこと……」
「返せ」

しかも丸井が気づいてはならないそれに気づくまで動くことができなかったのはもうひどいとしか言いようがない。
ようやく力ずくで奪い返せばやつは完璧な疑いのまなざしで俺を凝視していた。

「お前、それ……」
「俺は答えん。だがひとつだけ言っておく。もし誰かにバラしてみろ、俺は部活の仲間くらい平気で追いつめられるぞ。肉体的にも、精神的にもな」

気の狂いそうな暑さもとうに忘れた、というくらい血の気の引いた顔で丸井は俺から焦点をずらした。
ミンミンミンミンと蝉がうるさい。
取り返すときに力を入れすぎたせいで少し導線がむき出しになったイヤフォンを耳につっこむ。
俺にとっての天使の声が戻ってきて安心して座り込む。
うつむいて瞳を閉じればもう、そこは俺とだけの世界だ。

「犯罪、だろ……」

丸井がぼそ、と呟いた言葉など俺にはなんの意味ももたなかった。
盗聴が犯罪? そうかもしれない、だが知ったことではない。
いつでもの声が聞けるのなら罪くらい犯す。
ただそれを継続するのに必要なのは俺の行為が周りにまったく知られない、というその一点にあった。
との繋がりを絶たれる、なんてあってはならない。なにがなんでも阻止しなければいけないことだった。

「丸井、足、どうしたんじゃ?」

目を閉じの声に聞き入ったまま独り言のように呟く。
そうとわからないように薄く開けた視界の中で、丸井が呆然と自分の足を見下ろすのを確認した。

「……嘘だろ、これ、お前か?」
「さあのう。だが俺はその気になればいつでもお前を傷つけられるのかもしれん」

丸井の足にはひと筋細く血が滲み出ていた。
さっきまでなんの変化もなかったそこは自分でどっかにひっかけてきたのだろう。
今になってたまたま出血のあった傷を利用したにすぎないが、使えるものはなんでも使う。
少なくとも俺の盗聴という衝撃でただでさえ冷静でなくなっている丸井を騙すのは簡単なことだ。

「丸井はただ今まで通りにしていればいいだけじゃ。俺もいつも通り、それでなにもかも元通り」
「……ひとつだけ教えてくれ。仁王、お前、のこと好きなのか?」

あくびが出そうなほどの愚問だ。

「この世に以外の人間は必要ない」

好きとか愛なんてくだらない。
俺のに対する想いはとっくにそんな域を超えている。

「幸村くんはそれ、知ってんの?」
「知っとったら今頃俺の方がこの世に存在せんよ」

それはもちろん誇張だが、少なくともテニス部にはいられなかっただろう。それどころか立海からも追い出されているかもしれない。
俺と違って幸村は正しくを愛している。
そんなことは全部、盗聴を、盗撮を通して知っていた。

「……仁王お前」

イカレてる、か、はたまた狂ってる、か。
丸井の言いたいことなんて簡単に予測できたけれど、結局続きを聞かされることはなかった。
ただ立ち尽くす丸井に俺は完璧に興味をなくし、またの声に意識を戻す。
休憩中の幸村と楽しそうにデートの計画を話すの様子は本当に可愛い。
だが丸井と話をしたせいか癒されきれはせず、ちくりと黒い針が頭の中に刺さっているようだった。

俺はいつか本当に取り返しのつかないことをするかもしれない。
けれどそのときにはそれが取り返しのつかないことだと判断する正気すら残っていないのだろう。
丸井が犯罪だと断定するこの行為にすでになんの背徳感も罪悪感も感じていないように。

休憩時間が終わりに近づいて再び目を開けたとき、もう丸井の姿はそこになかった。
なに食わぬ顔でテニスコートに戻れば丸井ももういつものように赤也にちょっかいを出している。
一瞬だけちら、とこちらを見たが、それでさっきまでのことに関するすべては終わった。
幸村の隣にはがいて、まもなく部活が再開する。

これですべてはいつも通り。
俺の犯罪の証拠は誰にも見られることのない鞄の中でじっと息を潜めている。
決して悟られることのない、俺のに対する異常な想いと一緒に。



in the bag  09.9.4