先生が亡くなった。
強くて優しくて美しかった先生の死に、忍術学園は深い悲しみに閉ざされた。
先生が亡くなったのは夏休みのことで、先生は一人暮らしの長屋で誰にも看取られることなく静かに息を引き取った。
くの一として色んないくさに参加したという先生はしかし、タチの悪い風邪をこじらせて死んだ。
初めは誰もが信じなかった。
生という色を失くした先生の表情を見るまでは。
新学期になっても姿を現さなかった先生を山田先生と野村先生が探しに行った。
先生方が戻ってくるまでぼくたちに行方不明だという事実は知らされず、ただ別の仕事でしばらく外に出ているという嘘をそのまま信じていた。
山田先生と野村先生は先生の亡骸を交替で背負いながら学園に戻った。
死後数日が経過していた先生の死体はこの暑い夏の中で奇跡的に腐ることなく、何かに守られているかのように綺麗なままだった。
先生の死は学園長先生に伝えられ、教師陣に伝えられ、そして最後に生徒たちに伝えられた。
学園は授業を丸一日中止し、身寄りのなかった先生をここで弔うことにした。
夏休みが明けたばかりの残暑はまだあまりに暑く、ぼくたちは先生の死をうまく理解できなかった。
タカ丸くんが先生に死に化粧をほどこし、綺麗に髪を結った。
力の抜け切った先生の身体はすぐに倒れてしまうので、彼が髪を結う間ぼくは志願して先生の身体を支えた。
先生の身体は少し前まで動いていたことが嘘のように頼りなかった。
先生、少し痩せた? がんばったね。
夏の間にダイエットしようかしら、そうぼやいていた先生を思い出して声に出すと、タカ丸くんが櫛を通しながら嗚咽をもらし始めた。
タカ丸くんが時間をかけて化粧を終えた先生はこれからお嫁入りするんじゃないか、というくらい綺麗だった。
先生は生きている間ちっともぼくに髪を結わせてなんてくれなかった。
タカ丸くんが涙を流しながら悔しそうに言った。
ぼくたちはしばらく蝉の声を聞きながら正座して先生を囲んでいたけれど、山本シナ先生にやんわりと追い出される。
先生はこれから白い装束に着替えるのだそうだ。
タカ丸くんと外に出ると塹壕の中で文次郎と長次と仙蔵と小平太が蹲っていた。
なにしてるの、と声をかけるが答えは返ってこない。あまりの暑さに額から汗が流れおちた。
塹壕の中にいる彼らは冷たい土に守られて汗もかいていなかった。
「喜八郎が先生の墓穴を掘っているそうだよ」
この夏を過ごしたのに肌が焼けるどころか青いくらい白い仙蔵が呟いた。
「忍者であるということは、難しいことだな」
学園一忍者しているといわれる文次郎が言うそのセリフには説得力がある。
先生が一人亡くなったというだけでぼくたちはひどいショックを受けている。
この先忍者になって仕事をしていくとしたら、誰が死んでもおかしくはないのだ。
悲しみを決して表に出さず、きびきびと弔いの準備を進めている教師たちを見ていると思う。
ぼくたちは本当に、まだ未熟な忍者のタマゴにすぎないのだ。
途中タカ丸くんと別れ、ぼくはあてもなく学園内を歩いた。
いつもは誰かが走り回り、叫び、罠を仕掛け、大騒ぎしている学園が静まり返っていた。
蝉の合唱に混じって大きな複数の泣き声が聞こえてくる。
近づいてみると一年生たちが集まってみんなで大泣きしていた。
「うわーん! 先生ー! どうして死んじゃったんだよー!」
一年生は
素直だった。
純粋に先生の死を受け止め、悲しみ、泣きじゃくっている。
本当は泣きたいし思いっきり悲しみたいのに、忍者だからと自分の感情を無理やり押しとどめようとしているぼくたち上級生のように中途半端ではない。
「伊作先輩ー! 先生が、先生が……!」
「うん、うん」
ぼくを見つけた乱太郎くんがめちゃくちゃに泣きながら走り寄ってきた。
膝に抱きついてくる彼を受け止め、頭を撫でてやる。
他の一年生もぼくのまわりに集まってきて、ぼくにしがみつきながら泣いた。
みんなの鼻をかんでやりながら、ぼくは唇を噛んで必死に涙をこらえた。
「先生とちゃんとお別れできるように、いまは休んでおくんだ」
このままだと泣き疲れて眠ってしまうだろう。とりあえず部屋に戻るようにと告げる。
庄左ヱ門くんが泣きながらもは組を中心に率いてくれて、一年生たちは嗚咽をもらしながらぞろぞろ移動した。
みんなの背中を見送ったあと再び歩き出そうとすると、木の下に誰か佇んでいた。
一年は組のきり丸くんだ。彼は木陰で俯いてはいたけれど、泣いている様子はない。
「きみは戻らなくていいの?」
「人は死ぬんだ。どんなに大切な人だって」
驚くほど暗い声に背筋が冷える。
乱太郎くんから聞いたことがある。きり丸はいくさで家族と家をなくした、と。
彼の心の強さはこの年には異常なほどだ、とぼくはそのとき思った。
「バイト、してきます」
顔をあげたきり丸くんの表情はとても十には見えないほどしっかりしていた。
そして、思う。きっと彼には彼なりの悲しみ方があるんだろう。
中途半端なぼくには頷き返すことしかできなかった。
綾部喜八郎くんが先生の墓穴を掘っていると言っていたな。見に行ってみようか。
先生の死。確かに死体を見たのに、こうしてすべてが歪む暑さの中にいるとまた信じられなくなってくる。
歩きながら空を見上げると異様なほど晴れていて、ますます死なんてものとは無縁に思えた。
裏の山、見晴らしのいい崖の前で紫色の忍装束を着た生徒が三人、黙々と穴を掘っている。
中心になって作業を進めている綾部くんはいつも通りのように見えたけれど、汗だくになりながらそれを手伝っている滝夜叉丸くんと田村くんはいつものような勢いがなかった。穴を掘るのが得意な綾部くんの指示を反論一つなく受け入れ、手際よくきれいに掘り進めていく。
「何か手伝えることはないかな」
尋ねると三人が一斉に手を止めた。こちらに向けられた生気の弱い目は明らかに暑さのせいではない。
蝉の声の間を縫って綾部くんがゆっくりと口を開く。
「咽喉が、乾きました」
ぼくは頷き、走って校舎に戻った。急がなければあの三人まで死んでしまいそうな焦燥を感じた。
裏山に戻りいっぱいの水が入った竹筒を渡すと、ありがとうございます、と受け取った彼らはあっという間にそれを飲み干した。
飲み干し、また作業に戻っていく。
これ以上ここにいる意味もないだろう、そう思ってぼくはそれじゃあ、とだけ声をかけて去った。
ざく、ざく、ざく。先生の入る穴を掘る音が後ろから追いかけてくるようだったが、離れるとやがて聞こえなくなった。
その後も学園内を落ち着かずふらふらしていたが、すれ違うどの生徒も泣いているか魂が抜けたようにぼーっとしているかだった。
途中で不破雷蔵くんを見つけた。彼のそばで中途半端な女装をしているのはたぶん鉢屋三郎くんだろう。
「先生の変装をしたいんですが、どうしてもできません」
できても絶対にしない方がいい、と不破雷蔵くんと一緒に念を押す。
鉢屋三郎くんの先生に対する惜しみ方はきっと、色んな生徒を苦しめるだろう。ぼくも含めて。
食堂でもおかしなことがたくさん起こっているようだった。
土井先生が躊躇なくちくわを食べて吐いたり、野村先生が躊躇なくラッキョを食べて吐いたり、久々知兵助くんが豆腐を残したりしたらしい。
あのしんべヱくんですらいつものような食欲はなりを潜めていたという。
食堂のおばちゃんはいつも通りおのこしはゆるしまへんで、と殴っていたが、どこか覇気がなく、ただ条件反射で返しているようだった。
先生たちもやはり本当は動揺しているのだな、と思うと少しだけ安心した。
やがて学園長先生の命令で全校の生徒が集められた。
私語をするものはなく、それだけに所々から聞こえてくる啜り泣きが目立った。
特にくの一教室の方では連鎖的に泣き声が大きくなっているのがわかった。
学園長先生は惜しい人をなくした、先生は実に良い教師だったと弔いの言葉を述べ、先生の友人であるという和尚さんが先生を供養した。
その後ぼくたちは、組毎に先生と最後の挨拶をする。
タカ丸くんの死に化粧と山本シナ先生による着替えによって、先生は忍装束を着て元気に動き待っていたのが嘘のように静かに、美しく、目を閉じ口を閉じそっと手を組んで眠っていた。
一年生は遠慮なく泣き、我慢していた二年生はそれにつられて泣き、三年生も声をあげて泣き、四年生はこらえながらそれでも泣き、五年生は唇が切れるほど我慢する人間もいれば静かに涙を流す人間もおり、六年生はそれでも誰も泣かないようにぎりぎりと拳を握りしめていた。
先生の入ってた棺桶の蓋が閉じられ、これでもう二度と顔を見ることはできなくなった。
それでもまだどこか、あの中に入っていたのは人形だったのではないか、これは大掛かりな嘘ではないか、と思ってしまう自分がいる。
みんなはぞろぞろと裏の山に移動した。
先頭で山田先生と野村先生が棺を抱えている。
四年生の三人が一心不乱に掘っていた穴は美しいとすら言える出来で、これなら先生も安心して眠ることができるだろう、と先生方は彼らを褒めた。
褒められれば調子に乗るのが常だった滝夜叉丸くんと田村くんは、綾部くんと一緒に静かにこうべを垂れるだけだった。
先生方が急いで用意した墓石はとても立派で、先生がいかにみんなに愛されているか一目で理解できるものだった。
先生は静かに穴の中へ落され、和尚さんの指示で一年生から順番に先生の棺に土をかけた。
ぐずぐずと啜り泣きながら土に触れた手で顔をこするので、みんな泥だらけだった。
ぼくは目についた彼らの顔を拭ってやりながら自分の順番を待った。
六年生に巡ってくる頃にはもう棺も見えないほど土が盛ってあり、ぼくたちはただ乗せるように一握りのそれを上からかけた。
先生たちまで全ての人がその弔いを終えた頃には、青い空が赤い夕焼けに変わりつつあった。
手を合わせてみんなが先生の安らかな眠りを祈る。
人より薬学に長けているという自負のあったぼくは思う。
もしも先生のそばにいられれば、先生が死ぬことはなかったのだろうか。
見当違いかもしれない、先生にとっては一生徒でしかなかったぼくはそれでもおこがましく心の中でそっと謝罪した。
静かな夕暮れだった。昼にはうるさかったミンミン蝉や油蝉はぼくらと一緒に黙祷し、かわりにひぐらしが心細く鳴いた。
太陽のくだる夕方も、まだ暑さが残る。
日が落ち、夜が来て、そして朝が来る。先生のいない朝が。
また馬鹿みたいに暑く、嘘みたいに晴れた朝が来るのだろうか。
いつか先生がきれいに笑いながら好きだと言った、夏の、まぶしいほど晴れた空。
「先生、明日も空は青いんでしょうか」
「そうだな。先生は青い空の上でわたしたちを見守っていらっしゃるよ」
返ってくることのないと思った問いは、隣にいた土井先生が答えてくれた。
忍の先生が忍タマに言うにしてはずいぶんと甘っちょろいセリフだ。
けれどそうだといいな、とぼくも思う。
明日からまた忍タマとして頑張るから、いまだけはいいだろうか。
先生なら許してくれる気がして、ぼくは泣くのを我慢することをやめた。
先生、 明日も空は青いんでしょうか
春宵とマチエール 様
09.2.12
♪テイク5 / 宇多田ヒカル