は騙しやすい女だった。
俺たちと同じ年に入学し、くのタマとして五年間学んできたはずなのに忍者としては致命的なほど素直だった。
何年間もをからかい続けてきたおれは、すっかり彼女に嫌われていた。

すっかり嫌われているものだから、おれがいるとは笑わない。
一緒に雷蔵がいてもおれのことは頑張って無視しようとする。
かわいいな、と思う反面、やってしまったな、とも思う。
数年越しの後悔だからどうにかしようというのがまず難しい。

まず難しいから仕方ない、変装して近づく。
雷蔵を装っても、兵助を装っても、先輩を装っても、教師を装っても、はとりあえず信じた。
おれの前では何年も見せていない笑顔を返す。
おれはそれが嬉しくて、でも悔しくて、結局最後には正体をバラしてしまう。
途端、笑顔を消す
また騙された、と肩を落とす姿もたまらなくかわいいけれど、おれの前で笑わないのは気に食わない。
自業自得と言われても、気に食わないものは気に食わない。

だから新野先生のところから笑い薬を拝借した。
自分のすることがいかに子供じみているかは理解している。
たぶんおれは、間違っている。
それでもに、もう一度おれの前で笑ってみて欲しかった。

ちゃん!」

雷蔵の姿で声を掛けるとはあっさり振り向いた。

「雷蔵くん、こんにちは」
「残念、わたしは鉢屋三郎だ」

にこにこしながら挨拶を返したは、おれが名乗ると途端に表情を硬くした。
もう条件反射みたいになっているのかもしれない。

「何の用?」
「笑え」

とげとげしく聞かれた言葉に少しずきりとしながら、自分は口を覆って持っていた薬を撒く。
目標は一人なので少量だったが、はきょとんとしたまましっかりそれを吸い込んだ。

「な、なにこれっ……ふふっ、あはははっ!」

はすぐに腹を抱えて笑いだした。

「は、はちやっ……あははっ! ……っにする、ふふっ!」

は笑いながらおれの名を呼ぶ。
もう何年もおれという存在の前では笑っていなかったのに。
でも、なぜだろう、すごく……むなしい。

「ふっ……ははっ、……っく、ひっく……!」
?」

様子がおかしい。顔を覗き込むと、は笑いながらも泣きだしていた。
どうも笑いすぎて涙が出てきた、という感じではない。
焦った。だが薬の効果は弱めてあるので、もうすぐに切れるはずだ。
は涙を流しながら苦しそうに笑っていた。
まずい。やりすぎたかもしれない。

「っく……ひっく! 鉢屋三郎、私なにか、あなたに悪いことした?」

どうやら笑い薬の効果はなくなったようだが、は泣きやまなかった。
なぜこうなってしまったんだろう。泣かせるつもりなんてなかった。おれはただ、笑って欲しかっただけだ。

「そんなに私のこと、嫌い? だったらもう、関わらないでよ。私も話し掛けないから、あなたも話し掛けないで!」

嫌われているとは思っていたが、これは徹底的だった。
もう弁解の余地すら与えられず、は泣きながら駆け去って行った。
自然とため息がもれる。おれも泣きたい気分だった。
好きな子こそいじめたい。
実際相手には、そんな屈折した理屈は通用しないのだ。
いじめればいじめるほど嫌われる、考えるまでもなく当然のことだった。

雷蔵はよく、おれがをからかったあとに「三郎は馬鹿だな」と心底呆れながら言った。
なんのことだ、と笑いながら返していたが、一番馬鹿だと知っていたのは自分自身だ。
のおれに対する評価はもう、落ちるところまで落ちた。
だとしたらあとは必死で這い上がるしかないのかもしれない。
五年間おれはあいつをいじめ抜いてきたが、同時に恋慕い続けてきた。
卒業まであと二年もない。変わるなら今しかないのかもしれない。




はぴくりと立ち止まったけれど振り返らなかった。
きっと雷蔵の振りをして声をかければ反応してくれただろう。
けれどそれではもう、意味がない。姿は借りているけれど最初から鉢屋三郎として接することに決めたのだ。

黙したままは歩き去っていく。
完全な無視はさすがにキツい。だが落ち込んでもいられない。
素早く移動して彼女の前に立ち塞がる。
は怒った顔すらしていない、完璧な無表情だった。

「悪かった。反省している」

そう言って頭を下げるが、反応はなかった。
それどころかすっと、顔を下げたままのおれの横を素通りしていった。
参った。これなら詰るなり殴るなりしてくれた方がマシだ。
やはり今更すぎるだろうか。おれのこの態度ですらいたずらかもしれない、と思っているのかも。
顔を上げることができない。身体は少し震えているようだ。握り締めた手が汗で湿っている。

「鉢屋三郎」

その声に対するおれの反応はまるで犬のようだったろう。
が声を掛けてくれたというそれだけで、涙が出そうなくらい嬉しかった。
おれはどれだけを好きなのだろう。

「泣け!」

言葉と同時に仮面を被ったは何かを投げつけてきた。
喜んでいただけのおれはまともにそれを受ける。
途端、目の奥から涙があふれ出てきた。やられた! 目つぶしだ。

「あははっ! やった、仕返し成功! これでさっきの分はチャラにしてあげる」

は仮面のままだったが、その下で笑っているようだった。
仕掛けられたのにそれが嬉しくて、自分が嬉しすぎで泣いているんじゃないかという気がしてくる。
目も鼻もぐずぐずだったが、おれは泣きながら笑っていた。

「五年間あなたにはやられ続けてきたけど、もうそうはいかない。何度騙されたって返り討ちにしてあげる。覚悟していなさい!」

望むところだ、ひどい鼻声で返すとは頷き、仮面をつけたまま走り去った。

「ははっ……はははっ! ……ひっく、ぐすっ」

泣きながら、笑いながら、おれはひどく幸せだった。


「雷蔵。わたしは自分のことをSだと思っていたけれど、実はMだったのかもしれない」
「三郎は相手がちゃんならなんでも良いんだろう」

苦笑する雷蔵はまったくよくわかっている。



Fight The Blues  09.2.11
♪Fight The Blues / 宇多田ヒカル