氷帝マネージャーのトップを勤めたは交通事故というあっけない理由で逝った。
200人の部員はもちろん、他の女子マネにも慕われていたの死はとても信じがたいもので、関東大会敗退、そして青学に二度敗れたことなど忘れ去るほどの痛みを俺たちに与えた。
事故の原因が車にひかれそうになった子供を助けてのことだというのだから、あいつらしくて悔やめもしない。
いつも俺たちを助けていたあいつは、最後にひと一人の命を救って去った。
あいつはいつも俺たちに与える一方だった。
死んでしまってから気づく。
三年間ずっとそばで支えてくれたあいつに、俺たちはなにひとつ返すことはできなかったのだと。
の葬儀の日は馬鹿みたいに晴れていた。
氷帝の制服が溢れてそこかしこで泣いている。
岳人とジロー、鳳は号泣し、ジローはすでに泣き疲れて倒れたので樺地に背負わせた。
宍戸と日吉はこらえきれない涙を静かに流し、忍足は伊達眼鏡の奥、真っ赤な目で平静を装っていたが一人で泣ききっていたのは明白だった。
俺はというと、実のところまだ現実味があまりなく涙も流せないでいた。
記帳した後、喪服の女性に声をかけられた。
「失礼ですが、跡部景吾さんですか?」
「ええ、そうですが」
「ああ、やっぱりあなたが……。私、かなでの母でございます」
赤く腫れた目と手に握りしめたハンカチを見てそうではないか、と思った。
よりは雰囲気がやわらかい感じがするが、はっきりした目鼻立ちがよく似ている。
後ろに控えるように立っている男性は父親だろう。はどちらかというと母親似だったんだな、とぼんやり思う。
思わず目を細めて見てしまってから、深く頭を下げた。
「初めまして。氷帝学園男子テニス部部長、跡部景吾です。……この度のことは言葉もないほど残念に思います。さんはテニス部のマネージャーとして決して欠くことのできない存在でした。……ご両親の前で失礼かもしれませんが、今回のことはまだ自分自身受け止めきれずにいます」
の両親は時折うなずきながら、神妙に俺の言葉を聞いてくれた。
こうして流暢に言葉を紡いでいるいまですら、この場所がいったいなんなのかわからなくなってくる。
「あなたのことはかなでからよく聞いていました。とんでもない部長がいる、って……いつも楽しそうに」
の母親は鼻をすすりながらハンカチを目元にあてた。
「突然声をお掛けして、すみません。けれどどうしてもあなたに受け取っていただきたいものがあって……」
そう言って彼女は手に持っていた紙袋から本を一冊取り出した。
差し出された淡い水色のシンプルな表紙には金色のロゴでDiary、と綴られている。
「これは……」
「かなでの日記です。あのこがどんな気持ちで毎日を過ごしていたのか知りたくて中を見たのですが、……ぜひあなたに持っていて欲しくて」
「……よろしいのですか? とても大切なものでしょうに」
「あなたが持っていた方が意味のあるものだと私たちは判断しました」
母親が後ろの父親に顔を向けると、彼もお願いします、と深く腰を折った。
「重く感じてしまうかもしれませんが、娘の最後の気持ちだと思って、お願いします」
母親も日記帳を差し出したまま頭を下げてくる。
これで断れるわけがなかった。
本当にいいのだろうか、という気持ちがまだあったが、他ならぬご両親がこんなに願っているのだから受け取らないわけにはいかないだろう。
「わかりました。受け取らせていただきます」
「ありがとうございます……」
顔を上げたと思った両親が再びうつむくので、俺も深く礼をする。
両手で受け取った日記帳は実際以上の重みを感じた。
の葬儀は終始泣き声に包まれていた。
人は死んだときにこそどれだけ愛されていたのかがわかるのかもしれない。
ただ本人だけは決してそれを知ることはできないのだろう。
あれはいつの写真なのだろうか、遺影の中のは最高に楽しそうに笑っている。
お前なら。死ぬ瞬間でも自分の人生に後悔より感謝を捧げるのかもしれない。
最後にもう一度だけの両親に挨拶をし、式場を去る。
鞄にはずっと受け取ったばかりの重みを感じていた。
目を腫らしきった部員たちと別れて自宅に急ぐ。
車の中で何度もそっと鞄に触れる。
そうしていないと、なんだかあの日記帳までもが消えてしまう気がした。
シャワーを浴びて自室に戻ると、目を閉じて深呼吸をしそれを開いた。
部誌やなんかで見慣れていた、あいつらしい見やすく整った字がわっと目に飛び込んでくる。
どうやら三年にあがった頃から始まっているらしいそれは、毎日ほとんど部活のことで埋まっていた。
宍戸の怪我が毎日増えすぎるからもっと効く傷薬を探そう、だの向日がスタミナをつけようとやる気になったはいいが急に無茶をしすぎだ、だの部員の誰それの体調が悪そうで心配だ、だの日記でも他人のことばかり考えていやがる。
そして、俺に対しては決まってこの言葉が出てきた。
今日も跡部は俺様だった。だいっきらい。
跡部に新しいドリンクを上から目線で褒められた。もっと素直に褒めてくれればいいのに! だいっきらい。
氷帝が大会で負けてから人一倍練習してるくせに、誰にもそれを見せようとしない。なんで一人で頑張るの。だいっきらい。
毎日一言、日記の最後に必ずといっていいほど出てくるその言葉たち。
次々とページめくりながら一番下のそれを拾い読みしていうちに、身体が震えていく。
跡部は最後までコートに君臨し続けた。お疲れさま、頑張ったね、最高の試合だったし、最高にかっこよかった。でも死んじゃったかと思った、ばか、だいっきらい。でも愛してる。
いつもだいっきらい、そしてその後に愛してる、と必ず続けられていた。
俺はの気持ちに気づいていただろうか、それとも気づかない振りをしていただけだろうか。
そして俺は、俺の気持ちに気づいていただろうか。ああ、そうだ、気づいていながら無視していたんだ。
この俺様であってすら、には釣り合わない。
対等に接しているつもりであっても、実のところずっとそう思っていた。
あいつはできすぎた人間だった。
でもこうして日記を読んでいてやっと気づくことができた。
あいつも俺たちと同じ、ひとりの中学生だったのだと。
悩みもするしできないこともある、弱い部分もちゃんとあった女だったのだと。
俺はいつしか日記を読み続けることもできず声をあげて泣いていた。
これは後悔か、悲しみか、それとも愛しさか。
そのすべてが俺を責めるように押し寄せる。
は死んだ。
この日記の持ち主にはもう、二度と会うことはできない。
俺はやっとそれを理解し、言いようのない感情に泣くことしかできなかった。
のやつ、俺をこんな気持ちにさせやがって。あっさりいなくなっちまいやがって。こんな日記だけ残して。本当に、いい度胸だ。ああ、大嫌いだ!
そして、心の底から愛している。
白紙になった日記の続きに、そう殴り書きする。
いくつも落ちた涙のあとが染みになる。
滲んだ文字もそのままに、俺はの日記を閉じた。
お前は俺の生涯、唯一で最高の女だった。
恋愛感情より崇拝に近かったこの愛も、これでもう永遠になる。
やっぱりお前にはかなわねえよ。
が毎日触れていた日記に、永遠の愛を誓って口づけした。
強がりの横顔 日記にはいつも、「だいっきらい」 春宵とマチエール 様
09.9.11