プールの淵に腰を掛けたの足に跡部はキスをした。
は制服を着たまま靴と靴下だけ着けていない。その裸足をさっき丁寧に洗っていたのも跡部だ。
跡部は水のはられていないプールにズボンを捲りあげた膝をつき、の足を爪の先から口に含む。
は他の女子より少し長いくらいのスカートから伸びた脚の先を跡部に任せ、眩しそうに快晴の空を見上げていた。時々くすぐったそうに身体が震える。
氷帝学園の敷地の外れにあるこのプールは去年の夏で閉鎖になった。
もともとテニス部が身体を鍛えるためだけのものだったけど、跡部の寄付で新しい屋内プールが設置されたのだ。テニス部の私物であり、かといってコートからも離れたここにはそれ以来誰も訪れなくなった。
俺は暑くなりはじめたころにたまたまここの存在を思い出して、勝手に泳げないものかと思って忍び込んだ。
だけど中に残っていたのは空っぽの25mプールと、跡部との姿だけだった。
とはほとんど話をしたことがない。
一年のときに同じクラスだったけれど隣りの席になったことはないし、もしかしたら一度も言葉を交わし合ったことがないかもしれない。少なくとも向日くんと呼ばれたことも、と呼んだこともなかった。
は目立ちはしないけれど整った顔をしていたし、ずば抜けて勉強や運動ができたわけではないけれどおそらくいつも平均よりはやや上にいた。でも賞や部活なんかで学園中に名が知れていたということはない。
つまり生徒数の多い氷帝学園の中でありふれた存在だった。
そんなと、あの跡部がいったいいつ、どうやって知り合ったのか俺にはわからない。
そもそも学園内であの二人が接点を持った瞬間を俺は見たことがない。
気にはなったけれど、知ろうと思ったことはなかった。
だってあんまり勉強のできない俺にも一目でわかった、あの二人の関係はきっと秘密なんだ。
秘密なんだと思えたし、俺からしてみれば異常に見えた。
たとえば跡部が誰かの前に跪く姿なんて、ここに来なければ一生見ることはなかっただろう。
侑士と同じで跡部も脚フェチだったのかな、そんなことも考えたけれど、跡部との姿はなにかもっと、深い感じがする。うまく言葉に表すのは難しいけれど、もっと深くて、フェチなんていうものよりもたぶん少し狂ってる。
俺にはあの二人の関係を追及する勇気も、詮索する勇気もなかった。
関わらない方がいい。首を突っ込まない方がいい。それが誰にとっても平和なんだ。
そうは思ったけれど、なぜか見に行くのを止めることはできなかった。
ここのプールは間違いなく跡部が取り壊さないよう圧力をかけている。
でなきゃ用済みの古い施設を氷帝がわざわざ残しておくはずがない。
そして跡部がこのプールを残しておく理由は、きっととの時間を持つためにあるんだろう。
俺には足りなすぎるピースからそれっぽい想像をすることしかできなかった。
関わり合いを拒否しながらそれでもこの場所に通ってしまうのは、跡部との秘密のデートがすごくきれいに見えたからだ。
おかしいのに目が離せない。異常なのにどこか安らぐ。狂っているのに望んでしまう。
おかしい、異常だ、狂ってる。でもたぶん、あの二人は深く愛し合っている。
だからきれいだと思うのかもしれない。見ていたいと思うのかもしれない。
だってあんなもの、そこら辺を探したってそうそう見つかりはしないだろう。
夏めいた光の中で言葉もなく二人は触れ合う。
その姿は、俺にとって偶然見つけた宝物のようなものだった。
きらきらときれいで、少しこわくてどこかせつない。
あの跡部が、あのが、いつもの二人と違うのなら、いまここにいる俺もいつもの俺とは違うのかもしれない。
このプールを出れば俺は、何も知らない振りで跡部と接しているのだから。
が白い腕を伸ばして、跪く跡部の髪を撫でた。
跡部はそれが合図みたいにの足から口を放し、顔を上げる。
跡部が立ち上がって両腕を伸ばすと、はそこに収まるようにプールの淵からふわりと飛んだ。
静かに抱き合う二人が、プールの白い床に陽光が反射しているせいか、俺のいるところからは一瞬水の中にいるように見える。誰にも見つからずに心中した恋人同士みたいに。
俺は少しの間だけそれを見つめてから、音を立てないように細心の注意を払ってこの場所を去る。
そろそろ昼休みが終わる。
夏が目の前に迫っている。
半袖のシャツが少し汗で湿っていた。
今年の夏も暑くなりそうだ。
そして夏が終わり、新学期が始まったころ、俺はがどこか遠くに転校したということと、あのプールが取り壊されたということを知った。
秘密の水底 08.12.9