三年目の保健室で俺たちの関係は何一つ変わっていないはずだった。
ところ構わず跳んだ俺が怪我をして、が呆れながら保健室に引っ張って、保健委員の善法寺に手当を受ける。
氷帝学園中等部の一年になった最初の頃から、もう何十回と同じことを繰り返してきた。
三年になった今も俺は相変わらず怪我をしたし、幼馴染のは付き添ったし、善法寺はずっと保健委員だった。
「失礼します!」
「やあ、いらっしゃい。今日はどこを怪我したの?」
「膝よ、膝。ほんっと懲りないよね、岳人って。もっと跳んでミソ〜とか言って怪我してれば世話ないって」
「うるせーな! 俺は跳ばないと生きていけないんだよ」
笑ってる善法寺も、怒ってるも、それに怒鳴り返す俺も、本当に変わらない。
変わったことといえば俺がテニス部のレギュラーになって、善法寺が保健委員長になって、がほんの少し、女っぽくなったことくらいだ。
俺がイスに座って善法寺の治療を受けている間、はそばに立ってそれを見ていた。
俺が「染みる! 痛え!」とでも言おうものならすかさず「自業自得でしょ!」とつっこんでくる。
でもいつからだろうか。がじっと、俺の傷口ではなく善法寺を見つめていることに気づいたのは。
保健室を出たあと、妙に嬉しそうに微笑んで、善法寺くんは良い人だよねって褒めるようになったのは。
いつからだろうか。そんなの態度に痛みを覚えるようになったのは。
「、お前、もう俺に付き添わなくていいぜ」
「え? なんでよ、私も行くよ。岳人ひとりじゃ危ないでしょ」
いつものように怪我をした日、しょうがないなあほら行こう、といつものように引っ張ってきたの腕を振り払い、俺は言った。
「ガキ扱いすんじゃねえよ。いい加減にしてくれよ」
「な……なによ、それ。私は岳人のことを心配して」
「違えだろ! は俺のことを心配してるんじゃねえよ。善法寺に会いたいだけだろ!」
「なっ……」
の顔が一瞬で真っ赤に染まった。その反応は決定的だった。
もちろんが俺のことを本気で心配してくれてるのもわかってる。
でも呆れながら嬉しそうなその態度にはもう耐えられねえんだよ。
俺だってお前が心配して構ってくれるのは嬉しかったけど、もう辛い気持の方がでかいんだ。
「俺が気付いてないかと思ったかよ。バレバレなんだよ、お前のこと見てればすぐにわかる」
「なに、言って……」
「お前は俺のこと利用してるだけだよ。俺をだしにしてあいつに近づこうとしてるだけだ!」
喋っていたら止まらなくなってしまった。
違う、違う、こんなこと言うつもりなんてなかった。
利用している、と怒っている部分も確かにあったけど、それを責めるつもりなんて。
でももう自分でも何を言っているのかわからなくなるくらい、俺は声を荒げていた。
「冗談じゃねえよ。うんざりなんだよ。もうやめてくれよ! そんな簡単に俺に触るな……!」
言い過ぎだろう。わかってる。ガキ扱いすんなとか言いながら、ガキっぽいことしてんのは俺自身だ。
でも他の男が好きなくせに、俺に笑いかけて俺に触れてくるが許せなかった。
一番許せないのはそれを素直に喜んでしまう自分だったけれど、俺にはを責めることしかできなかった。
「わ、私、ずっと迷惑だった? 岳人は私と幼馴染でいるの、嫌になったの?」
幼馴染。にとって俺は、それ以上でもそれ以下でもないんだろう。
それがどんなに尊い存在だったと言われても、きっと俺はの恋愛対象じゃない。
好きだ。のことが好きだった。幼馴染としてじゃなくて、一人の女の子として。
きっとが善法寺のことを好きなように。俺はに恋をしていたんだ。
「そうだな……。幼馴染でいるのが嫌になったって言ったら、その通りだよ」
力が抜ける。ためていた息を少しずつ吐くように、俺は正直な気持ちを告げた。
が思っている意味と、俺が言っている意味は違うけれど。結局は同じことだ。
スカートがくしゃってなるくらい両手で握りしめていたは、唇を震わせて泣いた。
幼馴染だからが泣くのを見るのは初めてじゃない。俺がいたずらして泣かせたこともある。
でも昔の涙と今の涙は決定的に違う。俺のに対する好きっていう感情が、昔とは違うように。
「きみたち、何してるの?」
振りかえればいつの間にか人が集まってきていて、トイレットペーパーを幾つも抱えた善法寺がその波を縫って前に出てくるところだった。
王子様のご登場か、嫌味に俺は思う。痛えな。さっき擦り剥いた腕の傷が繋がっているみたいに心臓が痛い。
「ど、どうしたの? 二人して泣いちゃって……」
言われて、俺は慌てて自分の目もとを拭った。だせえ、俺も泣いちまってたのか。
かっこわりいな。そりゃだって俺なんかじゃなくて善法寺を好きになるよ。
また腕擦り剥いてるよ、善法寺が言って、トイレットペーパーを廊下に置くとあっという間に自分のシャツを引き裂いた。
何してんだよ、こんなの全然大した怪我じゃないのに。なんでためらいもなくそんなことができるんだよ。
俺はお前のことなんて嫌いだ。お前は俺からを奪った。引き合わせたのは俺みたいなもんだけど、を盗られたことにかわりはない。お前に出会わなければ、は。
「やめろよ!」
血が垂れる俺の腕に裂いたシャツを巻こうとする、善法寺の手を振り払った。
善法寺はきょとんとしたあと馬鹿みたいに苦笑して、痛くないように気をつけるから、なんて言った。
「俺のことはいいから。のところに行ってやってくれ」
これ、ありがとな。感謝の言葉なんて言いたくなかったけれど、震えながらそう口にしてシャツの切れ端だけ受け取る。
善法寺が戸惑ったように頷いたのを見て俺は傷口を押さえながら逃げ出した。
見たくなかったから振り返らなかったけれど、さん、ってを呼ぶ善法寺の声は聞こえた。
放課後の部活は散々だった。
ボールが飛んできてもぼけっとしたままの俺に跡部は校庭十周を命じたけれど、だらだら走って戻ると今日はもう帰れとタオルを投げてよこした。
ラケットを引きずるようにして部室に戻ろうとすると、侑士がさんと喧嘩したんやって、と耳打ちするように聞いてくる。
あれだけ人が集まっていたのだ、話が広がっているのかもしれない。でもどうでもいいと思った。
なんでもねえよ、じゃあな、と返すと侑士はそれ以上追及もせずまた明日な、と言った。
のことを話せる気分じゃなかったから侑士の引き際の良さがありがたかった。
制服に着替えるときシャツのボタンを三回くらい掛け間違えた。
鞄に突っ込んだままだった血のついたシャツの切れ端をぐしゃっと握りしめてから部室のごみ箱に捨てる。
善法寺は良いやつだ。本当に嫌になるくらい。
機械的に通学路を歩いていたが、まっすぐ家に帰る気になれず足は自然と近所の公園へ向いた。
この辺りに子供は少なくなった。砂場で何人かが山を作って遊んでいるだけだ。
鞄を放り投げて誰もいないブランコに座ってみる。
昔はよくここでと遊んだ。
男だとか女だとか、好きだとか恋だとかあまり気にしていなかった頃の話だ。
学校もずっと一緒だったから下手すると家族よりも長い時間顔を合わせていた。
取っ組みあったこともあったし手を繋いで歩いたこともあった。
年を重ねて、変わってしまったのは俺の方だ。友達の、幼馴染の「好き」じゃなくなってしまったのは。
夏の昼は長い。それでも空が赤らみ始めると、日が沈むのはあっという間だった。
「岳人」
適当にブランコを漕ぎながら見る間に色の変わっていく空を見上げていると、好きな人の声がした。
「なんだよ」
そばにいるそいつの、姿は見ず上を向いたまま答える。
「岳人の言う通り、私は善法寺くんのことが好き」
ブランコがゆっくり落ちていくとき、耳元でひゅ、と風が鳴った。
今度はもっと、力をこめて、思いっきり地面を蹴る。
「岳人の付き添いで保健室に行くとき、確かに彼に会えるのが楽しみだったよ」
ブランコが頂点に来ると、さっきとは見える空の位置が違う。
次はもっと高く。地面を蹴る足にさらに力をこめる。
「善法寺くんのことが好き。でもね、岳人のことは大切なの」
戻って、また上がっていくブランコは空中で少し止まる。
もっと高く。もっと飛べるはずだ。
「岳人と幼馴染でいられなくなんてやだよ」
もっと高く。もっと飛べ。
「岳人に嫌われるくらいなら、善法寺くんのことを好きじゃなくなる努力をする」
一回転するんじゃないかっていうくらいブランコは高く上がった。
それに合わせて俺に聞こえるよう、は叫ぶような声を出す。
頂点で少しブランコが止まったとき、俺は両手を放して飛んだ。
「岳人!」
が馬鹿みたいに悲痛な声で叫んで駆け寄ってくる。
しっかり着地した両足は少し痺れたが、怪我のひとつもない。
「ばか! どうしていつもそうなの!?」
俺は部活で怪我をしたことがほとんどなかった。
この三年間、怪我をするのはいつもが一緒にいるとき、馬鹿をやってだ。
俺はそうやってをそばに引きとめておきたかったのだ。
本当はを詰れる立場なんかじゃない。卑怯なのは俺の方だった。
「もう怪我はしねーよ」
「岳人……?」
立ち上がって、涙目のの頭を撫でる。
小さいな。俺も他の男に比べれば背は低いけど、女のはもっと小さいんだ。
「保健室にはもう行かねえ。あいつが好きなら自分で頑張れよ」
は涙を乾かすようにぱちぱちと瞬きをしたまま、俺の言うことをまだのみ込めていないみたいだった。
俺はだけじゃなく、自分にも言い聞かせている。が好きなら本気で頑張んなきゃなんねえ。
「もう気にすんな。お前は俺の大切な幼馴染だ」
そう言って笑いかけてやると、もいつもみたいに笑った。
何年もずっと見てきたはずの笑顔がいつも以上に愛しい。
お前は善法寺を好きでいればいい。俺はお前が好きで、今は悲しい一方通行だけれど。
「帰るぞ。」
昔みたいに簡単に手は繋げない。伸ばした手を拒絶されたら、と思うと怖くて今はできない。
でもいつかまた、昔みたいに、でも昔とは違う気持ちでお前に触れたい。
一方通行の矢印をきっとこっちにも向けてやる。
大切な幼馴染で、大切な恋人になるように。
少し後ろを歩くを想いながら、俺は前を見据えて背筋を伸ばした。
無限ループで10のお題 1.僕はあの子、あの子は彼へ。嗚呼なんて悲しい一方通行! 宇宙の端っこで君に捧ぐ様
09.2.15