ほとんどの人がお弁当を食べ終わった昼休み。
いつも気だるい空気に包まれている教室が今日はやけに騒がしい。
男子たちが集まってなんだか盛り上がっているのだ。
中心にいるのはどうやら切原くん。
教室の外に遊びに出るときも、こうして中で集まっているときも、大抵彼が真ん中だ。
私は自分の席で、前の席の友達と音楽雑誌を開きながらだらだらおしゃべりしていた。
席替えで仲の良いコと前後になると楽で良い。
休み時間のたびに動く必要がないしね。
「またライブのチケット外れちゃったよー」
「相変わらず競争率高いねえ。一回行ったっきりだっけ?」
「そう。また生で聴きたいのになあ」
超有名バンドにご執心のハナは、特集ページに縋るようにうつ伏せた。
おかげで記事が見えなくなってしまったが、傷心の彼女には好きにさせてあげよう。
机の上に伏せたハナの髪をみつあみにして遊んでいると、男子の「うおーっ!」だの「マジで?」だの「行っちゃう?」だのといった大声が耳を傾けるまでもなく聞こえてくる。ほんとに盛り上がってるなあ。
手は機械的に動かしたままなんとなく男子のかたまりに目を向けると、立ち上がった切原くんと目が合った。
にっこりと愛想の良い笑顔を向けられたので、とりあえずへら、と笑い返す。
それから急いで目を逸らした。苦手なんだよね、切原くん……。ちょっと怖くて。
寝たの? っていうくらいハナの反応はない。みつあみはいつしか五つに増えていた。
飽きてきたな、引っ張ってやろうかな。
そんなことを思っていると、切原くんがこっちに歩いてくるのが視界の端に見えた。
絡まれたら嫌なので見ないようにしていた。だけど、
「」
切原くんは私に声を掛けてきた。
無視する訳にもいかないので、「うん?」と短く答える。
切原くんの後ろの方で男子の集団がニヤニヤしながらこっちを見ていて、なんだかすごく変な雰囲気だった。
ハナ、起きてくれないかな。心細くなって目を向けると寝息が聞こえてきた。ハナ……。
切原くんは薄く笑みを浮かべたままで何もしゃべろうとしない。
何か用かとこっちから訊ねようと口を開いたら、いきなりがっと両頬を両手で挟まれた。
「!」
すごい力で引っ張られるみたいで、抵抗する間もなく唇が塞がれた。
うそ! なにこれ!?
唐突すぎる出来事に頭の中が真っ白になる。
一瞬のような、長かったような、でもたぶん唇が重なっていたのは三秒くらいだ。
キスされた、と言葉で理解したのはそれからさらに五秒後くらいだった。
「うわー! 赤也、マジでやりやがった!」
「ヒュー! さすがだなコイツ!」
「お前ら、約束通り一人二千円な!」
静まり返ってこっちを見ていた男子たちが再び騒ぎ立て、さらに信じられないことを切原くんが口にした。
一人二千円? なにそれ、賭けてたってこと?
私にキスできるかって? あの、わたし、ファーストキスだったんだけど……。
男子たちがヤラレターだのホラニセンエンだの言ってるあいだ、私はひとりでぐるぐるぐるぐる今の信じられない出来事について思いを巡らせていた。だんだん気分が悪くなってくる。
「んー……なに、うっさい……ってちょっと、!?」
頭にみつあみをいっぱいくっつけたハナが顔を上げると同時に私を見て驚く。
ぎゅっと震える唇を噛んだけど、もう駄目だった。
ぼろぼろ涙がこぼれ落ちていくのをはっきりと感じる。
「うそ、なに、どうしたの!? お腹痛い!?」
ハナがそうやって心配してくれたけれど、首を振り返すことしかできなかった。
目元を一生懸命手で拭っていたから男子たちなんて見えないけれど、おいやべえよ、とか泣かせちゃったじゃんどうすんだよ、とか無責任に焦る声がこそこそ聞こえてくる。
泣かせて焦るくらいなら最初から馬鹿なこと考えなきゃいいのに……。
悔しいし悲しいしで涙がちっとも止まらない。
「お、おい、!」
バタバタと慌ただしい足音と一緒に切原くんの声が聞こえた。
泣いてんじゃねーよと馬鹿にされるかと思ったけれど、なあ、おい、と繰り返し呼びかけてくる彼の声には誰よりも焦燥が滲んでいるようだった。それで許せるわけではないけれど。
「ああーっ、くそっ、悪ィ! 泣かせるつもりはなかったんだ!」
パンッ、と勢いよく手を叩く音が聞こえて、目を押さえながらちらりと覗くと切原くんは目の前で両手をきれいに合わせ、頭を下げていた。
ハナがなに切原あんたに何したの、と詰め寄ってくれたけど切原くんはなんだかそれどころじゃないようだった。
「ああ〜……なぁ、俺さ、アンタのこと好きなんだよ」
「……え?」
ぐすっと鼻を啜るだけの私の心の声を代弁してくれたのはハナだった。
「だから俺、アンタのことが好きなの! だからその……賭けにしたのは悪かったけどよ、好きだからキスしたんだよ。……それだけはわかって欲しいっていうか」
切原くんはうう〜と唸りながら困ったようにがしがし頭を掻いた。
今のでびっくりしたせいか、私の涙は少しずつ止まっていたけれど、新たな問題が降りかかったような気がする。
「この際だから最後まで言っちまうけどよ、、俺と付き合ってくんねえ?」
「……ごめんなさい、無理」
考えるまでもなく口にしていた。切原くんはガーンという効果音が聞こえてきそうなほど明らかにショックを受けていたけれど、私の正直な気持ちだった。
いきなり女の子にキスして、しかもそれを賭けにしていた人と付き合うというのは大分ハードルが高い。
ハナが「ていうかキスってなに、賭けってなに!?」と私のかわりに憤慨してくれていてちょっと気持ちが軽くなった。
「ごめん! 悪かった! すみません! この通り! だからとりあえず、許してください!」
また両手をパンッ! と合わせた切原くんの頭が言葉を重ねるたびに下りていく。
言葉に詰まっていると急にばっと顔をあげ、ダッシュでぽかんとこっちを見ていた男子たちのところに戻っていく。
「お前ら、これ返す!」
叫ぶようにそう言って、ポケットの中にねじ込んでいた戦利品のお札を振りまくようにみんなに返していった。
「お」とか「え?」とかやっぱりみんなぽかんとしていたけれど、そのうち調子が戻ったのか「なになに、赤也マジなの!?」とまたはやし立て始める。
切原くんはばっとこっちを振り返って、すごい勢いで戻ってきた。
「さっきの賭けはナシ。なっ、だから頼む、許してくれ! このとーり!」
賭けがなかったことになっても私のファーストキスがあっさり奪われた事実は変わらない。
でもこれだけ必死に謝られると許さないわけにもいかないという気になってくる。
私のことを好きだといってくれる、その気持ち自体はまったく嬉しくないわけではないし。
「わかった。さっきのはなかったことにする。忘れます」
カウントゼロだ。ファーストキスじゃなくてゼロキス。そう思うことにしよう。
切原くんは「え、忘れちまうのかよ」とちょっと不満そうだったけれど、「今はそれで十分だ、ありがとな」と安堵したようだった。
「でもよ、俺がアンタを好きだっていうのは本気だからな。それは忘れんなよ」
「…………」
さっさと断ってしまった手前気まずいけれど、こくんと頷き返しておく。
切原くんはそれだけでも「おっしゃ!」と嬉しそうで、私はなんだか困った。
「アンタが俺の彼女になったら今度はちゃんとキスしていいか、って聞いてからするから」
すごい。彼、なんでこんなに自信満々なんだろう。困惑を通り越して感心してしまう。
あんたなんかに絶対は渡さない、と言ってくれるハナを頼もしく感じながら、でもこの先切原くんのことを意識せざるをえないのは確かだった。
激しく口喧嘩を始めた二人にちょっと落ち着いて、と仲裁に入りながら、これからの中学校生活が今日の昼休みで大きく変わってしまったような気がする、とそんな風に思った。
いろいろなキス 09 突然の 09.3.12