ーッ!!」
「きゃーっ!!」

背後から名前を呼ばれた瞬間飛ぶように逃げたが、捕まるのはあっという間だった。
女の私が脚力で勝てるわけがない、しかも相手は言わずと知れた体育委員長だ。
そしてその体育委員長は、私を後ろからぎゅっと抱きしめたまま頭を撫でくり回すのだった。
うう……。折角さっき、ひと月も予約を待ってタカ丸さんに髪を結ってもらったのに!

「元気か? メシはちゃんと食ったか?」
「はい……。先輩、そろそろ放してください」

七松先輩は私を、愛玩動物かなにかと勘違いしているんだと思う。
伊賀崎孫兵くんにとっての毒蛇やサソリのようなものだろうか。
それとも喜三太くんにとってのナメクジのような……どっちの例えも良くない!
先輩は放せと言っても大声で笑いながらぐりぐり撫で続けてくる。身長が縮みそうな勢いで。
私も一流のくの一を目指すくのタマなのだから、一度は先輩に反撃してみたいんだけど。

というわけで、同室のみんなに相談してみた。

「七松先輩に一泡吹かせてやりたい? そんなの簡単よ、簡単」
「一年生の課題にもなりゃしないわよ」

さすがみんな、頼りになる!
自慢じゃないけど私はくのタマの中でも劣等生の部類に入るので、課題でも度々力を借りたりしていた。
みんなはしょうがないなと言いつつ手伝ってくれた訳だけど、今回も良い知恵を貸してくれそうだ!

「他の六年生に声を掛けてみなさいよ」
「相手は潮江先輩が最適ね」
「潮江先輩って、会計委員長の?」

もちろん、とみんなは頷いた。
はて、七松先輩には何もせず、潮江先輩に話しかける。
果たしてそれだけで本当に七松先輩の鼻を明かせるのだろうか。

「ばっちり。楽勝。間違いなし」
「これは面白いことになるわね。頑張んなさいよ、

背中やら肩やらを叩いてくるみんなはなんだかやたら楽しそうだ。
しかしこれだけ期待されれば、確かに頑張るしかない。
よし、やるぞ! 気合い十分、首を洗って待ってろよ、七松先輩!

というわけで、私はみんなからさらなる助言を賜って作戦を開始した。
まあ、潮江先輩に話しかけるだけだけど。
とはいうもののなにしろ地獄の会計委員長だから、近づくだけでも結構怖かったりする……。

みんなの協力により会計委員の仕事日と行動パターンは把握済みだった。
委員会の行われている教室の外にあたる庭で待っていると、中から予想通りの声が聞こえてきた。
すなわち、「ばかもーん!」の後に、「全員算盤を持って外に出ろ。ランニングだ!」という怒鳴り声。
悲鳴を上げながら会計委員たちがぞろぞろ駆け出してきた。
今だ! 私は最後に出てきた潮江先輩に走り寄り、覚悟を決めて口を開く。

「潮江先輩!」
「む。なんだ? くの一が何の用だ」

目の前に立つと、潮江先輩は想像以上に迫力があった。
とてもじゃないけれど七松先輩と同い年には見えない。
が、ここで怯んではならない! 私はみんなの助言に従って、鏡の前で練習した笑顔を作る。

「潮江先輩って、すっごく素敵ですよね! かっこいいです!」
「フン。くの一はまた何か企んでいるのか」

さすが忍術学園一忍者しているという潮江先輩だ。これくらいの褒め言葉では軽くいなされてしまうらしい。
ちなみにとりあえず褒めておけと助言してくれたのも同室のみんなだ。
私の目的は別に潮江先輩を喜ばせることではないけれど、くの一なら口上も上手くなくてはならない。
いつのまにやらこれも修行だ、と思っている自分がいた。

「私は本当のことを言っているだけです。他人に厳しいだけの人ならたくさんいますが、自分にも厳しくいられる人はそうそういません。でも潮江先輩はそれを簡単に成すことができる。忍の鏡です!」

潮江先輩は腕を組んだまま、じっと睨むように私を見下ろした。
うう、ダメだったかな……。熱弁のために握りしめた拳が汗でじっとり濡れてきた。
笑顔も引きつってきたとき、潮江先輩はふっと唇の端を吊り上げた!

「ふははははは! わかっているじゃないか!」

おお……うまくいったらしい。潮江先輩は嬉しそうに笑っている。
なにか大きな忍務をやり遂げたかのような達成感がある。

「お前はなかなか見る目があるな。会計委員会に入れてやりたいくらいだ。おい、名前は?」
「はい! 私は」
ーっ!!」

喜んで名乗ろうとしたところに、今回の最重要人物が現れた。
いけない、本来の目的を忘れるところだった!
なんだかいつの間にやら、潮江先輩を褒め落とすことに夢中になってしまった。
そういえば同室のみんなが七松先輩をこの場に誘導してくれる手筈になっていたのだ。

七松先輩はいつも通り私に飛びついてきた。
かなりの勢いだったのでそのまま倒れるかと思ったけれど、先輩自身がぎゅっと抱きとめてきたのでなんとかその場に止まった。

「なんで文次郎がと話してるんだよ!」

七松先輩にいつもみたいな笑顔はなくて、眉を吊り上げて潮江先輩を睨みつけている。
先輩を焦らせることができたなら、それはつまり作戦が成功したということだ。
でも先輩の締め付けが強すぎて、正直それどころじゃなかった。く、くるしい……。

「そいつはというのか。で、なんだ小平太、なぜお前が出張る必要がある!」
「なぜって、だって、は私のものだ!」

!? いま何か、とんでもないことを言われた気がするが、あいにく私は気絶寸前だった。
七松先輩の腕の力は強まる一方で、抜け出すどころか意識を保つので精一杯だ。

「いいや。たったいまからそいつを、会計委員会の名誉会員に任命するっ!」
「なに勝手なこと言ってんだよ! だったらはずっと前から体育委員会の名誉会員だッ!」

私の知らないところで私の身の振りが決められつつあったが、生死の境にあっては重要な問題じゃなかった。
締まってる、締まってるよ、ギブギブ……!
最後の力を振り絞って足をバタバタさせるが、言い合いに夢中の先輩たちは気づいてくれなかった。

「そうだ文次郎」
「なんだ小平太」
「向こうで会計委員の連中がサボってたぞ」
「なんだと!! あいつらーっ!」

算盤を持った潮江先輩が走り去っていくのが明滅している視界の端に見えた。
七松先輩がまだ私を締めながら、よーし行ったな! と嬉しそうに言う。
やっと少し力が緩まって、私は急いで呼吸した。死ぬかと思った!

!」
「は、はいっ! って、きゃあ!」

七松先輩はようやく私から腕を放したと思ったら、両肩にがっと手を乗せてきてそのまま押し倒した。
息を整えるのに必死だった私が満足に受け身をとれるわけもなく、背中からまともに地面にぶつかる。
い、痛ー! かろうじて頭をぶつけなかったのは不幸中の幸いか。
ていうか、七松先輩……! なんてことを!

「なにするんですか、先輩!」
「文次郎のことなんか褒めるな!」

私に覆いかぶさるかたちの先輩は、いつもみたいに笑ってなどいなかった。
見たこともない真剣な表情にどきっとしてしまう。
先輩の余裕を奪うことに成功したのなら、この一方的な勝負は私の勝ちだ。
でもなぜだろう、どうにも勝った気がしないのは。

「!!」

七松先輩の下で硬直していると、急に先輩が顔を近づけてきた。
キ、キスされる! 私は一瞬そう思ってしまって、一気に顔が熱くなった。
でも先輩は顔を伏せたままで、その拍子に髪の毛が何本かふっと宙を舞った。
周りの地面に何かがさくさく刺さる。仰向けのまま顔を向けると戦輪が見えた。

「滝夜叉丸ッ!! 何をするんだ!」
「七松先輩こそ何をしているんですか! 忍術学園の敷地内で堂々とくの一を押し倒さないでくださいっ! 委員会の後輩としてこの滝夜叉丸、見過ごすわけにはいきません!」

ひ、ひえー。滝夜叉丸くんが戦輪を投げてきたのか。
七松先輩が避けるってわかっていたんだろうけれど、それにしても狙いが正確すぎて危ない。
先輩が立ち上がってくれたので、私も身体を起こす。あいたたた。思いきり打った背中が痛い。

目の前では七松先輩と滝夜叉丸くんが武器を投げ合う戦闘を始めていた。
ここにいてはまた命の危険に関わる。痛む背中もなんとかしたいし。それに目的は一応達成したはずだ。
三十六計逃げるにしかず。私は医務室に逃げ込むことにした。

医務室には買い付けに行っているという新野先生のかわりに、保健委員長の善法寺先輩がいた。
背中を見てもらうには衣服を脱がなければいけないので少し恥ずかしかったが、善法寺先輩は慣れた手つきで優しく手当をしてくれた。

「しばらく安静にしていればすぐに治るよ」
「はい。ありがとうございました!」
「どういたしまして。そうだ、ぼくが診たってことは小平太には黙っておいてね」
「? わかりました」
「うん。良い子だね」

善法寺先輩はにこにこしていた。
なぜか七松先輩の名前が出てきたけれど、私の怪我が彼のせいだと知っていたのだろうか。
もう一度頭を下げ、失礼しますと言って医務室を出る。

七松先輩はまだ滝夜叉丸くんと争っているのだろうか。
急に七松先輩の真剣な表情を思い出してしまって、また顔が熱くなってきた。
先輩が戦輪を避けようとして顔を伏せたとき、キスされると思ってしまったのがすごく恥ずかしい。
善法寺先輩には安静にしていろと言われたし、今日はもうおとなしく部屋に戻ろう。
それになんだかいまは、七松先輩と顔が合わせ辛かった。


もんもんとする気持ちを抱えた私の知らぬところでは、こんな会話が交わされていた。

「七松先輩、すごいわね。あんなに堂々と告白しちゃって」
「ねえ。は私のものだ! だって。当の本人は聞いていなかったみたいだけど」
「その上思いっきり押し倒したわね」
「見てるこっちがどきどきしちゃった。滝夜叉丸のやつ、いいところでジャマするんだから」
「空気読めって感じよねー。ま、それはにも言えることだけど」
「でもやっと、ちょっとは意識したって感じじゃない?」
「ほんと! これからが楽しみね!」

そんな噂話をされているとはいざ知らず、部屋に戻った私はお疲れ様、よく頑張ったわね! というみんなの労いを嬉しく受け取ったのだった!



ボコ題 11:マウントポジション  ボコ題
09.2.7