「侑士、お風呂あいたよー」
「ああ……って姉貴、頼むから下着姿でうろうろするなっちゅーとるやろ」
「だって暑いんだもーん」
姉貴は下着姿で首からタオルを掛けたまま、冷蔵庫からビールを漁る。
この風呂上がりに下着でビールのコンボがどうやら姉貴の基本のようだった。
両親が仕事の都合で関西に逆戻りすることが決まって、俺はもともと都内でひとり暮らしをしていた大学生の姉のもとに残ることになった。
姉貴がひとり暮らしを始めてからは顔を合わせる機会はあまりなくなったが、もともと姉弟仲は悪くない。
今回の件についても姉貴は快諾してくれたし、俺も抵抗なく引っ越すことに決めた。
が、いざ一緒に暮らし始めると姉がかなりだらしなくなっていることに気付いた。
家族全員で住んでいた頃は少なくとも下着姿でうろうろすることなどなかった。
冷蔵庫の中にぎっしり缶ビールが詰まっているなど、俺は扉を開けるその瞬間まで思いもしなかったのだ。
「侑士〜!」
「……」
酔っぱらった姉貴がソファに座っている俺の後ろから乗りかかってきた。
姉貴は酒が大好きなくせに、あまり強くないらしい。
いつの間にか一本飲み干したらしく、二本目を手にしたままごろごろとすり寄ってくる。
二本目も飲みほした姉貴はそこそこ広いソファにごろんと転がり、肩膝を立てて座っている俺の腰に抱きついて離れなかった。
相手は姉貴とはいえ下着姿の女子大生だ。
最初は俺も困惑して「ひっつくな!」と懸命に剥がしにかかっていたが、一度泣かれてからは抵抗をやめた。
猫だと思って生乾きの髪や咽喉を撫でてやると気持ち良さそうにする。
「侑士が甘えたくなるくらいいい男に育って、姉さんは嬉しいよ」
テレビを見ながら無意識に撫でてごろごろさせていたらそう言われてはっと気づく。
あかん、また甘やかしてもうた。
そもそも俺は甘えられるのが嫌いではないのでついつい構ってしまうが、姉弟でこの状態はちょっとまずいだろう。
もし親に見られたらなんと言われるかわからない。
テニス部の連中などどん引きするか、面白がるか、はたまた羨ましがるか。……ちょっと反応を見てみたい気もするが。
ちょっとはたしなめようか、と思って顔を向ければもう姉貴は寝ていた。呆れてため息を吐く。
だが決して嫌な訳じゃない。こうやって遠慮なく甘えてくる姉貴は素直にかわいいと思う。
ただあまりにかわいいとそれが問題だ。
俺だってさすがに姉に対して欲情したりしないが、例えば独占欲なんかは強くなる。
姉貴に彼氏はいるのだろうか。
少なくとも俺がこの家に来てから姉貴が男を連れ込んだことは一度もない。
最初から紹介でもされればまだ良かったかもしれないが、今この家で顔を合わせることになったら俺にはあまり歓迎してやれる自信がなかった。
「……姉貴、風邪ひくで」
テレビからは毎週見ている連ドラが流れている。
典型的な恋愛ドラマではいつもならじっくり見たいラブシーンが流れていたが、今はあまり見ていたい気分ではなかった。
姉貴のむき出しの肩を揺らすが、酔いのせいか頬をうっすらと紅く染めた姉貴が起きる気配はない。
相手が弟とはいえ、健全な男子中学生の前で無防備にもほどがある。
姉貴と二人暮らしを始めたと知った岳人やジローは遊びに行きたいと騒いでいたが、これではとてもあいつらを呼ぶことは出来ない。
こんな姿まではさすがに晒さないだろうが、どこでボロが出るかわかったもんじゃなかった。
「しゃあないなあ」
視線を戻したドラマではもう次週の予告に入っていた。
テレビを消すと部屋は一気に静まりかえり、姉貴の寝息だけが傍らからすうすうと聞こえてくる。
まだ俺の腰に掛かっている腕を起こさないようにそっと外し、姉貴の身体を抱きあげた。
六つ上の姉貴の身体は想像以上に軽い。
直に触れるところの肌がほとんどで、そのどこもがやわらかかった。
「ん……侑士……?」
「起きたんか? 部屋に運んでやるからじっとしときや」
「ん、ありがとう……」
また猫のように頭をすりつけながら、姉貴は俺の首に腕を回してきた。
まったく、甘やかしてしまっている。
「ほら、ついたで。風邪ひくからちゃんとパジャマ着なあかんで。ほな、おやすみな」
「待って、侑士、行っちゃうの? 一緒に寝ようよ」
「……アホか。ひとりで寝れるやろ」
あかん。姉貴の甘え癖がどんどんエスカレートしとる。
ベッドにおろしてやった姉貴は服の裾を引いてお願いしてくる。
甘え方もレベルが上がっているからタチが悪い。
これを家から外に出してやってもいいものなのか、一瞬そんな疑問さえ湧いてくる。
「小さい頃は一緒に寝てたじゃない。せっかくまた一緒に暮らしてるんだから」
「いつの話しとんねん。俺ももう十五や、姉貴なんか成人しとるんやで」
「姉弟に歳なんて関係ないよ。ね、侑士、お願い」
姉弟に歳なんて関係ない、という姉貴の理屈がさっぱりわからなかった。
ただ完璧な甘え口調と仕草でねだられ、これ以上断ればまた泣きそうだ、と思って了承のため息を吐くしかなかった。
「わかった。ほな、風呂入ってくるからちゃんとパジャマ着て待っときや」
言いながら頭をぽんぽんと撫でてやると、ぱあっと嬉しそうな笑顔を向けられる。
参ったなあ、と心底思う俺の気持ちなど意に介せず、姉貴は「うん!」と素直に頷いた。
風呂場でシャワーを浴びながら思い浮かぶのはさっきから姉貴の姿ばかりだ。
酔いが入っているとはいえ、姉貴はなぜああも無防備なのだろう。
思春期の弟の前なのだからせめてもうちょっと意識して欲しい。
髪と身体を洗い終えてシャワーを止める。
そうしてくれないと、俺の方がどうにかなってしまいそうや。
ドライヤーを軽くあてた髪をタオルで拭きながら姉の部屋に入ると、予想通りというかなんというか、姉はベッドに転がったまま寝ていた。
一応パジャマには着替えたようだが、ボタンを掛けている最中に力尽きたのか四つ目から上があいている。
今夜何度目かわからないため息を吐きながら静かに近づいて第一ボタン以外を留めてやった。
姉貴は真ん中に寝転がっているので両端からシーツを引っ張ってきてなんとか掛けてやる。
これならまあ風邪はひかないだろう。
姉貴がまた目を覚ましてごねないうちに部屋を出て行くことにする。
「……おやすみ。」
そっと耳元で囁きながら、今度姉貴が甘えてきたら名前で呼んでやろうとぼんやり決意した。
姉弟 12題 4.せめてもうちょっと意識して欲しい 3 lies様
09.8.1