「先生、平和島君が暴れて怪我人がたくさん出ています」
「ま、また!? 仕方ないわね……岸谷君に任せる訳にもいかないし……様子だけでも見に行かないと……」
少しだけ覚醒した意識の中で、そんなやり取りが聞こえてきた。
聞き覚えのある声だな、とまだ半分眠っている頭でぼんやりと思う。
保健の先生の重そうな足取りが遠ざかると、閉じた視界の中で傍らに誰かの静かな気配がした。
担任の先生だろうか、だったら起きなきゃ、と今にも夢に戻りそうなまぶたを必死で開く。
「やあ、さん。ごめん、起こしちゃった?」
「!!」
眠気が一気に吹き飛んだ。
目の前で微笑んでいるのは、紛れもなく折原くんだった。
「ああ、ほら、起きあがっちゃダメだよ」
「ど、どうして……」
つい起こしてしまった半身を、折原くんにたしなめられてベッドに戻しながら、問いかけずにはいられない。
「俺がここにいる理由かい? もちろん君がいるからだよ、さん。シズちゃんに罠を仕掛けて教室に戻ってみれば、君がいないからさ。君の友達に聞いたら、体調不良で保健室に行ったって言うから、慌てて様子を見に来たってわけ」
折原くんはほぼ一息で、淀みなく説明した。
色々聞き返したいところがあるはずなのに、どうやら心配してきてくれたらしい、という結論だけが心に残ってしまう。
美術の時間での一件以来、折原くんはみんながいるときでも私に接するようになっていた。
「風邪でも引いたの? 熱はない?」
折原くんの白い手が私の額にそっと触れた。
彼の手はやけにひんやりしていて心地が良い。
病気のときは心も弱る。
そのせいだと思うけれど、恥ずかしいのに、相手は折原くんなのに、その手に甘えたくなってしまう。
「ああ、結構熱いねぇ。少し休んだら今日は早退した方がいいよ。送っていくから」
「だ、大丈夫。一人で帰れるから」
折原くんの声色がとても優しくて、妙にどきどきしてしまう。
確かに熱があったので少し寝たら帰るつもりだったけれど、彼が一緒だと余計に落ち着かなくなってしまいそうだ。
「あれ、頼ってくれないの? ……それとも信用できないかな? 好きなコが弱っているときに手を出す真似なんてしないよ。君の前では結構、紳士的に振るまっているつもりだったんだけど」
苦笑しながらそう言う折原くんの顔が、すぐにいたずらっぽい笑顔になる。
「まあでも、保健室に二人きりって、すごくおいしいシチュエーションだよねぇ」
折原くんのキレイな顔がいきなりぐっと近づいてきた。
どきどきが一層強くなるのと同時に、顔が一気に熱くなった。
目を逸らす場所もないけれど、目を閉じてしまうのもなんだか怖い。
金縛りにあったかのように動けなくなってしまう。
「冗談だよ。そんなに怯えないでよ」
本当に可愛いなぁ、とさらっと独り言のように囁きながら、やっと顔を遠ざけてくれる。
ああもう、今絶対熱上がった!
なんだか今日はずっと折原くんのペースだ。
こんな状況じゃ仕方がない、ということにしておこう……。
「本当に何もしないから、もう少し寝ときなよ」
折原くんは穏やかな声でそう言うと、シーツをそっと肩まで掛け直してくれた。
……なぜか頬まで撫でられたけれど。
「……折原くんは、そこにいるの?」
「もちろんいるよ。さんの寝顔を見られる貴重な機会だし」
「……」
眠れるかな、私……。
「眠れるまで手でも握っていようか?」
「いい、大丈夫」
「そう? 残念」
楽しそうだなあ、折原くん。クスクスと静かな笑い声にこっちまで頬が緩んできてしまう。
でもなんだか、またまぶたが重くなってきた。
彼が来てくれて安心したなんて、そんなことはないと思うけれど。
「おやすみ、さん」
眠りに落ちる直前、折原くんの声が心地良く耳に落ちてきた。
目が覚めたらきっと、そこには相変わらず折原くんがいて、私たちは一緒に帰ることになるのだろう。
私は束の間の夢に彼が出てきたことをすっかり忘れてしまっているに違いない。
けれど自分の手に微かな温もりが残っていることには、ひょっとしたら気づくのかもしれない。
保健室の逢瀬 11.3.26