「やあ、こんにちは」
「こんにちは」
新宿で買い物をしようと駅前を歩いていたら、急に声を掛けられた。
思わず足を止めて返事をしてしまってからいけない、と思う。
この前も池袋で絡まれたばかりなのに、私には少し危機感というものが足りないのかもしれない。
ここは池袋じゃないし、静雄さんやお兄ちゃんが助けに来てくれる訳もない。
「あ、あの、私、用事があるので」
「ああ、待ちなよ。そう警戒しないでよ、ちゃん」
「え?」
変なことにならないうちに立ち去ろうと思ったけれど、その人は私の名前を知っていた。
知り合いだったけ、そう思ってまじまじと顔を見てしまう。
キレイな人だな、整った顔立ちに一瞬見とれそうになるけれど、こんな顔の知り合いはいなかった。
「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
私が忘れているだけだったら失礼だけれど、仕方がないので聞いてみる。
するとその人はジャケットのポケットに両手を入れてにっこり笑った。
「いや、初対面だよ。俺は少しだけ君のことを知っているけどね。君、シズちゃんと仲良いんだろう?」
「シズちゃん?」
そんな名前の友達いたっけ。
少なくとも私がシズちゃんと呼んでいたり、そう呼ばれているコはいないはずだ。
「ああ、ごめんごめん。シズちゃんじゃわからないか。平和島静雄だよ」
「! 静雄さんのお友達ですか」
笑いながら告げられたその名前を聞いて、思わずびっくりしてしまった。
静雄さんをシズちゃん、なんて呼ぶんだから相当仲が良いのだろう。
「友達? そりゃいいや! 君、面白いこと言うねえ。でも俺とシズちゃんは友達なんかじゃないよ。高校時代の同窓生ってやつ」
「……はあ、そうなんですか」
同窓生ってことは、友達じゃないんだろうか。……あだ名で呼ぶくらいだし。
でもなんとなくつっこみずらくてそのままにしてしまった。
「君、シズちゃんの上司の妹なんだって?」
「兄のことも知っているんですか?」
「直接の知り合いじゃないけどね。向こうも俺のことは知っているはずだよ」
「そうなんですか」
なんだかさっきから、いまいち関係性がわからない。
そういえばこの人の名前も知らなかった。
キレイだけど、なんだか不思議な人だ。
「ねえ、ちゃん。シズちゃんの好みのタイプ、知りたくない?」
「えっ!?」
顔を覗き込むように聞かれて、思わず一歩後ろに下がる。
ひょっとしてこの人、私の気持ちに気付いているのだろうか。
でも初対面だ。会うのも話すのも初めての人なのだ。
とりあえず落ち着こう、と自分に言い聞かせて尋ね返す。
「あの、どういう意味でしょうか」
「どういう意味も何も、そのままの意味だよ。君、シズちゃんのこと好きなんだろう?」
「……!」
さっき気のせいだ、と思いこもうとした考えが早くも打ち砕かれた。
否定の言葉も肯定の言葉も出てこなくて、ただおろおろしてしまう。
「ははっ、わかりやすい子だなあ。ちょっと鎌をかけてみただけなんだけど、大当たりだったみたいだねえ」
「あっ……」
思わず両手で顔を押さえるけれど、もう遅い。
私は昔から家族にも友達にも顔に出やすいと言われてきたのだ。
「大丈夫。悪いようにはしないよ。俺、本当はタダで情報を与えたりしないんだけど、君には特別に教えてあげる」
まだ熱の収まらない顔から手をどかせないまま彼を見ると、キレイな顔が微笑んでいる。
自分の気持ちを言い当てられたからか、私にはその表情がなんだかとても怖く見えた。
「シズちゃんの好みのタイプはね、年上の女性だよ」
そっと近付いてきたその人が、囁くように口にした。
それを聞いた瞬間、胸の痛みとともにじんわりと目の奥が熱くなる。
「あ、あの、私……、失礼します!」
私は彼の前から逃げ出した。
今にも溢れそうな涙を止めるのに精一杯で、最後に背中から掛けられた言葉には気付かなかった。
「またね、ちゃん」
結局買い物もせずに家に帰ってきてしまった。
ぼんやりと夜ご飯を食べて、お風呂から上がった後、私は携帯を握りしめたまま膝を抱えていた。
「年上の女性、か……」
名前も知らないあの人は確かにそう言っていた。
もしそれが本当だとしたら、高校生の私は静雄さんの好みのタイプからは完全に外れている上、一生なれないことになる。
「……」
深いため息が自然ともれてしまう。
もしあの人の言っていたことが嘘だったとしても、そもそも静雄さんが私に構ってくれるのは私がお兄ちゃんの妹だからだ。
静雄さんにとって私は、色んな意味で恋愛対象にはならないのかもしれない。
また涙が出そうになって、クッションに顔を押し付けた。
しばらくそうやって気持ちを落ちつけてから、携帯のフリップを開く。
アドレス帳を無駄にいじり倒して、やっと静雄さんのアドレスを呼び出した。
この前焼肉店で教えてもらってから、結局一度もメールも電話もしていなかった。
私にはなかなかそんな勇気が出なかったし、静雄さんから連絡が来ることなんてなかったのだ。
『です』
友達とメールをしているときより十倍くらい時間をかけながらやっとそうタイトルを入れる。
『こんばんは。お仕事お疲れ様です。今日、新宿で静雄さんの同窓生だという方に会いました。』
誤字がないように丁寧に打っていく。指が緊張で少し震えた。
そこまで打って手を止め、続きをどうしようか、と考える。
静雄さんの好みのタイプ、その真偽を確かめたかったけれど、まさかいきなり聞ける訳もない。
『兄のことも知っているみたいです。こういうことってあるんですね。ちょっとびっくりしました』
最後に笑っている顔の絵文字を入れて、何度も何度もたった数行の文面を読み直した。
……変じゃないかな。静雄さん、呆れたりしないかな。
悩み疲れた頃、これでいいや、と思いきって送信ボタンを押す。
送信はすぐに完了して、私はどっと息を吐いた。
メールを送り終わった後も、携帯から手を離せない。
静雄さんはまだお仕事中かもしれないし、すぐメールは返ってこないかもしれないけれど、他のことが手につく気がしなかった。
「わっ!」
もうメール読んでくれたかな、携帯を撫でながらそんなことを考えていたらいきなり携帯が震えてびっくりした。
もしかしてもう返してくれた!? そう思って慌てて画面を見る。
「う、うそ……!」
画面には確かに『静雄さん』と出ている。
でもそれはメールじゃなくて、電話の着信を告げていた。
「わ、どうしよう……!」
とりあえず出なきゃ! あー、あー、と短く発声練習をしてから、恐る恐る電話に出る。
「もしもし……?」
『ちゃん、アイツに何もされてねえか!?』
「えっ?」
出た瞬間、静雄さんが怒鳴るように話し出した。
どういうことなのか理解できず、間の抜けた声を出してしまう。
『あのノミ蟲野郎……!』
「し、静雄さん?」
今なんだかすごく不穏な単語を聞いた気がするんだけど、気のせいだろうか。
よく聞き取れないけれど、電話の向こうで静雄さんが何やら呟き続けている。
混乱した頭で何度か静雄さんの名を呼ぶと、少しだけ落ち着いた声が返ってくる。
『ちゃんが会ったのはオリハライザヤって野郎だ。髪が黒くて嫌な目つきしてやがっただろう?』
「あ、はい、そんな感じの人でした」
嫌な目つき、とまでは言わないけれど、確かに目つきはちょっと怖い感じの人だった。
「オリハラさんって言うんですか?」
『ノミ蟲だ、ノミ蟲。俺が今からあの野郎ぶっ殺してくっからよお』
「えっ!? 静雄さん? あの、大丈夫です。私、何もされてないです」
静雄さんの様子がなんだかおかしくて、一生懸命言葉をかける。
私は大丈夫だけど、静雄さんは大丈夫なのだろうか。
新宿で会ったあの人、オリハラさんは静雄さんと友達じゃないと言っていた。
静雄さんのこの様子からしても、どうも本当のことだったらしい。
……オリハラさんのシズちゃん、はともかく、ノミ蟲っていうのはどう考えても友達を呼ぶ言葉じゃない。
友達じゃないどころか相当仲が悪いのかもしれない。
『じゃあ何したってんだ? アイツから声かけてきたんだろう?』
「はい。でも、少しお話しただけです」
『話だァ?』
静雄さんの声音があまりに不機嫌でびくびくしてしまう。
いつもは穏やかだけど、お兄ちゃんが静雄さんはキレると手がつけられない、と言っていた。
池袋で絡まれたときのことを思い出す。
あのときはいっぱいいっぱいであまり気にしていなかったけれど、そういえば私に絡んでいた人たちは静雄さんにすごい勢いで吹っ飛ばされていた気がする。
「その、静雄さんのことを、少しだけ」
『あァ? 俺のこと?』
「はい、あの、静雄さんの好みのタイプが、年上の女性だって……」
『……はあ?』
静雄さんのあまりの迫力に、テンパった私は正直に話してしまった。
電話口からは思いっきり疑問符のついた声が返ってくる。
『なんだってノミ蟲野郎が俺の好みのタイプの話なんかしやがるんだ……?』
「それは……よく、わからなかったんですけれど」
私の気持ちを見抜かれたから、とはさすがに言えず、もごもごと曖昧に誤魔化す。
でもこの勢いで、意を決して本当のことかどうか聞いてしまおう――
『ちゃん』
「は、はいっ」
そう思って息を吸った瞬間、静雄さんに名前を呼ばれて大声で返事をしてしまう。
『いいか、イザヤの野郎には絶対関わるな。また声をかけられても無視して逃げろ。俺を呼んでくれりゃあ速攻でぶん殴りに行ってやる』
「え、えっと……」
『新宿にはよく行くのか?』
「家から近いので、結構行きます」
『そうか……なるべく池袋にしとけ。トムさんを頼るか、俺もできるだけ付き合うから』
「は……はいっ。ありがとうございます」
なにがなんだかよくわからなかったけれど、静雄さんが会ってくれる、と思うと嬉しくてすぐに返事をしていた。
お仕事があるだろうから実際はそんなに会えないだろうけれど、連絡してもいいんだ、と思うとそれだけで満たされていくようだった。
挨拶を言って電話を切る。
待ち受けに戻った画面を見つめたまま、しばらくぼーっとしてしまった。
好みのタイプの話が本当だったのかどうかは結局わからなかったけれど、今はあまり気になっていなかった。
こうやって声を聞けるだけで、また会えるかもしれないというだけで、胸がいっぱいだった。
静雄さんの友達?
10.4.29