「お次の方、こちらのレジへどうぞ」
『休止中』の札を取り除きながら隣のレジに並んでいる客に声を掛ける。
二番目に並ぶファー付きのコートを着た男性客は、その整った顔立ちに似合う、だがどこか胡散臭さを感じさせるにこやかな顔で自分の後ろの客を振り返った。
「先にどうぞ」
声を掛けられた後ろの客は、一瞬きょとんとしてから「はあ、どうも」と彼に軽く頭を下げてこっちに歩いてくる。
「お預かりします」
やっぱりなあ。ピッピと手早くバーコードを読み取りながら、ちらりと一瞬例の客に視線を向けてしまった。
その男性客は口元に微かに笑みを浮かべながら、じっと自分の並ぶレジの先を見ている。
「ありがとうございました」
隣のレジで丁寧に頭を下げるさんはもう結構長くこのコンビニでバイトをしている。
ファーコートの男性客が一歩前に進む。
多分数年前、彼がこの店によく来るようになったときには、彼女ももうバイトをしていたはずだ。
そしていつからか、彼は彼女のいるレジでしか会計をしなくなっていた。
「こんにちは」
「こんにちは。いつもありがとうございます」
ファーコートの男性客が笑みを深めて彼女に挨拶すると、彼女もにこにこ微笑んで挨拶を返す。
それだけなら常連客とコンビニ店員の、少し微笑ましい光景だ。
だが彼女は気付いているのだろうか。
下を向いてバーコードを読み取っている間、彼が微笑を浮かべたまま観察するように自分の一挙一動を凝視していることに。
「髪の毛切りました?」
客足が途絶え、つい隣の会話に耳を傾けてしまう。
彼はときどきこうして、さんに話しかけることがある。
特に彼女の変化については恐ろしいほど敏感だった。
爪の色、細かい化粧、ときには今日は元気がないみたいだけど、と声を掛けることもある。
彼女は少し驚いたような声を返した。
僕も驚いた。彼女が髪を切っただなんて、今朝会ってから全然気付かなかった。
「よくわかりましたね。長さもほとんど変えてないんですけど、少しだけ」
「よく似合っていますよ。それに、良い香りがしますね。トリートメントを変えたんですか?」
「ありがとうございます。美容院で使っていただいたものが気に入って、自分でも買ったんです。良い香りですよね」
言われて意識してみれば、確かに彼女の方から良い香りが漂ってくる気がする。
楽しそうに答えるさんを見て、やはりそういう変化に気づいてもらうのは嬉しいものなんだな、と心の中で頷く。
「甘くて、可憐で、愛らしい。野に咲く一輪の花みたいだ。とてもあなたらしい香りですね」
「え?」
「……なんてね。歯が浮きそうなセリフはあんまりセンスがないし、ちょっと軽薄っぽいよねえ。でも本当に、よく似合っていると思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
聞いていてこっちがむずむずしてしまった。
彼は仕草や口調がどこか芝居がかっていていまいち本気かどうかわかりにくいが、完全に冗談とも思えない。
さんをからかうようなことを言うことがしばしばあるのだ。
「いらっしゃいませ。お預かりします」
気づけば自分のレジに客が近づいていて、慌てて意識を戻した。
「ありがとうございました。またお越しください」
「ええ。また来ます」
隣のレジでは会計が終わったようだ。
ちょうどこっちのレジの前を通って出口に向かう彼の姿を、ついまたちらりと見てしまう。
彼はこちらには目もくれず、片手に袋を下げ、片手をコートのポケットに入れ、上機嫌そうに店を出て行く。
いつもそうなのだ。彼女のレジで会計をした後は、いつも見るからに機嫌が良い。
少し恐ろしいことに、スキップに近い動きで出ていくこともある。多分スキップではない、多分。
彼は彼女のことが好きなのだろうか。
少なくとも、気に入ってはいるのだろう。
昼にも夜にも夜中にも訪れる、いまいち何をしているのかわからない客だけど。
随分前に僕のレジでお酒を買うときに身分証を見せてもらったが、二十歳は超えていた。
名前や他の項目ももっとちゃんと見ておけばよかった、と今更ながら思う。
もうずっと、彼の会計をした記憶がない。
よくこの店に来る割に、さんがシフトに入っていないときは滅多に姿を現さないのだ。
……彼女のシフトを把握しているのだろうか。
備品の補充に商品棚のチェックに、よく働く彼女の姿を追いながら、ひょっとして厄介な客に目をつけられているんじゃないか、と少し心配になる。
「さん、大丈夫? 他の店員がいないときにあの客に口説かれたりしてない?」
「え? あの客、って……いつも来てくれる男性の方ですか?」
「そう、ファーコートの」
心配になったので、彼女が休憩時間に入る前に声を掛けてみた。
あの客、で誰のことかわかるくらいにはやっぱり自覚もあるらしい。
「そういうことはないですよ。少し話をするだけです」
びっくりしたような顔をして、ぱたぱたと手を振っている。
この反応なら多分本当にないんだろう。少し安心する。
「ならいいけど。どういう人かよくわからないし、一応気をつけてね」
「……はい、店長。悪い人じゃ、ないと思いますけど」
あれ、これは彼女もちょっと、彼のことを気に入っちゃってるかな。
まあ、イケメンだしな。彼女への対応だけなら確かに悪い人間には見えない。
……でもなんか、ちょっと変わっている感じはするんだけど。
とりあえず見守るしかないかな、と彼女を休憩に送り出した。