読書灯も消し、もう寝ようとした真夜中。
狭い部屋の中にチャイムが響いてきた。
……こんな時間に誰だろうか。
一人だけ、心当たりはあるといえばあるのだけれど。
「……はい?」
『、俺だ、俺』
どこのオレオレ詐欺だ、と一瞬切りたくなったけれど、インターフォン越しに聞こえてきた声は予想していた人のものだった。
聞こえないように受話器を放してため息を吐いてから、「今開ける」と答える。
パジャマだけどいっか。着替えるのも面倒で、そのまま迎えることにした。
「こんばんは……ってうわ、酒くさ!」
「よお。起きてたか?」
「ぎりぎりね。大丈夫? 静雄」
お酒くさいけれど顔は赤らんでいないし、ふらふらしている様子もない。
でも、酔ってる。サングラス越しでもはっきりとわかるほど、目が据わっているのだ。
「とりあえず上がんなよ」
静雄はお酒に強いけれど、たまに悪酔いすることがある。
そういうときは大抵折原くんが絡んでいるから、今回もきっとそうなのだろう。
また何かハメられて、その上逃げられたのかもしれない。
今彼の名前を出しても静雄を刺激するだけだから聞かないけど。
「」
「うん?」
静雄はきちんとまっすぐ歩いて、ちゃんと自分で靴も脱いだ。
支える必要もなさそうだ、客用の布団を出してさっさと寝かせちゃおう。
そんなことを思いながら静雄に背を向けていたら名前を呼ばれ、答えた途端に後ろから腕を引かれた。
「抱かせろ」
「はっ!? ……っ、ん!」
後ろから強く抱きすくめられたと思ったら、酒に焼けた咽喉でとんでもないことを囁かれる。
理解できない合間に壁に押し付けられ、気づけば唇が塞がれていた。
噛みつかれるように触れられると、すぐに舌が入ってくる。
アルコールの苦味があっという間に口一杯に移ってきた。
静雄と私は割と深い親交こそあるものの、決して恋人同士ではない。
手も繋いだことがなければ、キスだってしたことなんてない。
とにかく、私と静雄は気の合う友人同士ではあったけれど、こんな関係ではない、決してない、これからだってなりえない、……そのはず、なのに。
「ま、待って、静雄」
「……んだよ」
身体を押しのけようと思っても、びくともするはずがなかった。
重量挙げの世界チャンピオンでも連れてこなければ、いやそれでも無理かもしれない。
とにかく抵抗は完全に無駄なので、一瞬唇が離れた瞬間に急いで声を出した。
「……せめて、ベッドにしよう」
キスはしてこないものの、静雄の手は私のパジャマの下をまさぐり始めていた。
いつの間にかサングラスの外された、人も殺せそうなほど据わっている目を見て、私は諦めた。
……もういい、流されてしまおう。
私たちは決して恋人同士でも、セフレでもない。
ただ静雄が私に恋情を抱いていないだけで、私は静雄のことが好きだった。
そして幽くんから「さんだから」という前置き付きで話してもらった、静雄の初恋のことも知っている。
彼が誰かを愛せない人間だということも。
だから私にとって、これは最初から諦めた恋だった。そのはずなのだ。
「わかった」
静雄はあっさり頷くと、私のパジャマの下から手を抜いて今度は抱え上げてきた。
金髪の王子様のお姫様抱っこだ。……ただし、衣裳はバーテン服とパジャマだけど。
ベッドに寝かされた途端、さっきの続きが始まった。
言葉を挟む隙もないまま静雄が圧し掛かってくる。
流されてしまえば楽だ。
私にしてみれば好きな男に抱かれるのだから、もっと喜んでいいのかもしれない。
静雄に触られているとどんどん思考が鈍くなってくる。
パジャマを脱がされ、静雄も服を脱いだとき、なんて綺麗な身体なんだろう、と感動したのが最後のはっきりした感覚だったかもしれない。
私はもうただ感じるままに声だってあげて、気持ちの良さに溺れていった。
だけど一つだけ大切なことを忘れていた。静雄の体力は底なしだったのだ。
目が覚めたとき、俺の頭は最高に混乱していた。
まずここが自分の部屋ではなく、しかし見覚えのある部屋であることに焦った。
ちゃんとベッドには寝てはいたが、自分の部屋じゃないんだから当然自分のベッドじゃない。
それから今日は仕事は休みだ、と思い出してほんのひと息吐く。
しかしなぜか俺は裸だった。
ここまではまだいい。いや、全然良くないがとりあえず置いておける範囲だ。
だがさらに問題なことに、俺の隣にはが寝ていた。しかも裸で。
いや、裸かどうかはわからない、こっちに背を向けて寝ているはシーツを被っていて、その肩までがたまたま露出しているだけかもしれない。
んなわけねえよと頭のどこかが言っているが、シーツを取って確認する気にはなれなかったので、とりあえず目を背ける。
なんだ? どういうことだ? 一体何が起きたんだ?
まさかイザヤの野郎にハメられたのか?
そう考えたとき、いくらか記憶が戻ってきた。
俺は確かにノミ蟲にハメられた。だがそれはの部屋に来る前のことだ。
ハメられて、今度こそぶち殺してやろうとあいつを追って、しかし結局捕まらなかった。
今日が休みだというせいもあって苛立ちの収まらないまま酒を飲みまくって、酔っ払った。
そうだ、覚えている。俺はその後――
声にならない声で叫んで頭を掻きむしる。別に頭が痛い訳じゃねえ、二日酔いも残っていない。
ふとベッドの周りに目をやると、使用済みのゴムが散乱していた。
……。覚えている。酒を飲んで、店を出て、コンビニでゴムを買いまくったこともちゃあんと覚えている。
「……」
おそるおそる、の名前を呼んでみる。
深く眠りこんでいるのかは反応しなかった。
……っていうか、だよな? もしじゃなかったらどうしよう。
いや、だったらもっとどうしよう、なんだが。
「……」
慎重に指先を伸ばし、の顔をころん、とこちらに向ける。
さあっと血の気が引く。俺は普段血が上ってばかりいるから、もしかしたらこの感覚は生まれて初めてかもしれない。
俺は散々ぶち込んでいただけでは飽き足らず、顔にもぶっかけていたのだ。
ちなみにその顔は紛れもなくそのものだった。
「……俺、死んだ方がいいんじゃねえのか?」
問いかけに答えてくれるものは誰もいない。
とりあえず顔だけでも拭いてやらねえと。
あまりの事態にがんがん痛み出した頭でそう考え、半ば自動的に動く。
ベッドの脇に落っこちていた自分の服を拾ってとりあえずベスト以外を着込む。
の家には何度も来ていたから勝手知ったるなんたらだ。
だが断じて手を出したことなんてなかった。酒を飲んでいようがいまいが、だ。
タオルを濡らして戻り、顔を拭いてやろうとしたとき、ぱちりとの目が開いた。
「……おはよう、静雄」
は妙に焼けた声でそう言った。
一つの予感にごくり、と思わず唾を飲む。
……ぶっかけるだけじゃ飽き足らず、飲ましたかもしれない。
「……よお」
何を言えばいいのか、どうしてやったらいいのかわからず、間抜けな声が出た。
そうだ、土下座だ。土下座の後に切腹しよう。
俺は宇宙に放り出されたみたいにいつもとは違う意味でぶち切れた頭で、そう考えた。
善は急げだ。ベッドの脇で正座しようとしたところで、が寝たまま顔を近づけてくる。
「気にしないでいいよ。私も流されちゃったし、これは合意の上なんだから」
声が出しにくいせいだろう、かすれた声音で囁くように言われ、びく、と身体が動く。
「でも一つだけ聞かせて。……私のこと、好き?」
心臓が鳴った。
の目が見れねえ。
俺は自分が誰かを好きになってはならない人間だと思っていた。
俺が相手をどう思っていようが、傍にいる人間を傷つけちまうかもしれねえからだ。
傷つけるくらいなら近づきすぎない方がいい。
パン屋で暴れたあの日から、ずっとそう思っていた。
俺を愛してくれる奴らがたくさん現れて、あいつらとやり合ったその日から、少しは変われたと思った。
力を制御できる術を手に入れたと思って、真っ先に思い浮かんだのはの顔だ。
それがどういうことなのか、それでも俺はまだ今まで自分に認めていなかった。
「……好きじゃなきゃ抱きてえなんて思わねえよ」
自分の気持ちを認める意味の、長く深いため息を吐いたあと、俺はにそう答えた。
酔いに任せてを抱いた。
むしゃくしゃして、苛立ちまくって、そんな中でなら俺を癒してくれると思った。
やったことは最低だが、それでもじゃなきゃならなかった。
本当はずっと好きだったのかもしれない。
ただを傷つけないためには、それを認める訳にはいかなかった。
「ありがとう。私も静雄が好き」
ふわっと、包まれるみてえにあったかい気持ちになった。
いつかの公園で感じたときのような歓喜とは違う。
笑い出したくなるんじゃない、悲しくもないのに涙が出そうな感覚だ。
まだ顔も拭いてやってないの頬に触れる。
目元に指を這わせると指先が少し濡れた。
も俺と同じ感覚でいるのかもしれない。
「……好きだ、」
全身から溢れるくらいに感動のようなものが駆け巡る。
自分からじゃない、この世のあらゆるものからを守りたいと思った。
「うん、私も。でも静雄、体力ありすぎ……」
「……? ?」
はそう呟くと、かくん、と目を閉じてしまった。
焦りながら何度も名前を呼んだが、ちゃんと息はある。
それから自分のしたことを思い出して、ああそうか、疲れさせちまったんだな、と思い当たる。
とりあえず、身体を拭いて服を着せてやろう。
が動けねえっていうんなら、今日はつきっきりで看病してやる。……病気じゃないし、元々俺のせいだけど。
カーテンの隙間からはもうほとんど真上まで上がった陽が差し込んでくる。
幸せ、ってえのは今みたいな気持ちをいうんだろうか。
そんなことを考えながら、の唇に静かに触れた。
リバース
10.3.12