「あの……」
「ああ?」

事務所の前で煙草を吸いながらトムさんを待っていると、珍しく女に話しかけられた。
この格好のときに逆ナンはおろか道を訊ねられたことさえないから驚いたまま声を返してしまう。
女は一瞬びくりと肩を震わせたが、逃げることもなく見上げてくる。

「田中トムはいますか?」
「トムさんなら中だけど……何の用だ?」

もしかしてトムさんの女か? ……どうみても高校生、ヘタすりゃ中学生くらいだけど。
まあ、それがあの人の趣味だってんなら俺も別に文句はねえ。
俺が言うのもなんだけど、捕まるようなことはしていないんだろう。

「あ、ご挨拶もなくすみません。私、田中トムの妹で、って言います」
「……トムさんの、妹?」
「はい」

言われてみりゃあ似てる……とも特に思わねえが、トムさんって妹なんていたのか。
しかも結構歳が離れてるんだな。
まあ何にしろトムさんの妹なら追い払う理由はない。

「あの人ならもう少しで降りて来ると思うぜ」
「じゃあ、ここで待たせてもらってもいいですか?」
「ああ。構わねえよ」

とやらは少し微笑んでありがとうございます、と頭を下げた。
礼には及ばねえ、と口を開こうと思ったら、顔を上げざま向こうの方が先に話し出す。

「あの、平和島静雄さんですよね?」
「あ? ああ。悪ぃ、名乗んのが遅れたな」
「いえ、兄からもお話を伺っていたので。いつも兄がお世話になってます」

上げた頭をもう一度丁寧に下げられる。
さすがトムさんの妹っつーかなんっつーか、随分礼儀正しいやつだな。

「いや、世話んなってるのは俺の方だからよ。あんたの兄貴には随分感謝してるんだ」

改まってそんな風に言われるとどう返したらいいかわからなくなって、ばりばり頭を掻きながら素直に述べる。

「兄も平和島さんに感謝していますよ。いつも兄を守ってくれてありがとうございます」

トムさんの妹は笑顔で俺を見上げてくる。
トムさんを守るっていうか、いっつも俺が勝手にぶちキレてトムさんにはむしろ迷惑を掛けているんだが、そこんところを訂正する前に「ああ、こいつはトムさんが大好きなんだな」としみじみ思った。
そしてきっとトムさんはこの妹を大事に思っているんだろう。そんな気がする。

「静雄、悪ぃ、待たせたな……って、!?」
「お兄ちゃん!」

トムさんは降りてきて妹を見るなり相当驚いたみたいだ。
妹の方はトムさんを振り返るなりぱっと顔を輝かせる。……まじで好きなんだな。
なんっつーのか、微笑ましいっつーのか。

「バッカ、お前、仕事場には来るなって散々言っただろーが!」
「だってお兄ちゃん、最近全然帰ってきてくれないじゃない」
「何ヶ月か前に一回帰っただろ。いい大人がしょっちゅう実家に帰ってどうすんだよ……」

トムさんは口ではグチグチ言いながら、妹の髪をくしゃくしゃと撫でていた。

「で、お前こんなとこまで何しに来たんだ?」
「だから、お兄ちゃんに会いに来たんだよ」
「……それだけか?」
「それだけ」

だあっもう、と言いながらトムさんが口元を押さえる直前、その口がニヤけていたのを俺は見た。

「たまには家にも会いに来てよ。じゃないとまたここ来ちゃうからね」
「あー、わかったよ、しょうがねえなあ……」

今度は妹の頭をぽんぽん、と撫でている。
妹の表情は俺からは見えなかったが、満足そうに笑ってるんだろうなとなんとなく想像がついた。

「静雄、悪いんだけどよ、仕事の前にちょっとこいつ駅まで送ってっていいか?」
「ああ、いいっすよ」
「すまねえな」

池袋駅なんてすぐそこだが、トムさんとしては妹をこのまま放り出してはおけないんだろう。
仲良さそうに肩を並べる二人の後ろをぼんやりと歩きながら弟のことを思い出す。
そういや俺も、最近幽に会ってねえな。まあ顔だけならそこら辺の看板でも見るし、元気にやってるみてえだけど。
トムさんとトムさんの妹を見ていると、妙に幽に会いたくなってくる。

「じゃあな、気をつけて帰れよ」
「うん。お兄ちゃんもまた帰ってきてね」
「わかったっての」

トムさんに念を押す妹が不意に俺に向き直った。

「お兄ちゃんのこと、これからもよろしくお願いします」

さっきよりももっと深く俺に頭を下げてくる。
トムさんは「ったく……」と小さく呟きながら頬をぽりぽり掻いている。

「……ああ。またな。ちゃん」

自然と口元が弛む。
低い位置でひらひらと手を振ると、頭を上げたちゃんの顔が真っ赤になっていた。……人ゴミにあてられたか?
ちゃんは「し、失礼します!」となんだか逃げるように改札を通り抜けていった。
……なんだ、なんか怖がらせちまったか?

「……静雄よお」
「ん? なんすか、トムさん」
「お前、なんで『ちゃん』なんだ?」
「? トムさんの妹なんで、呼び捨ても失礼だと思って」
「……そうか。気を遣ってくれてありがとうよ」
「?」

トムさんはなんだか微妙な顔をしていた。
どうしたのか尋ねようと思ったところで「よっし、じゃあ仕事に行くか」と言われ、結局聞くタイミングを逃してしまった。……まあいいか。

「静雄よ、もしあいつが一人で池袋をフラフラしてたら、声掛けてやってくんねえか」
「はあ。いいっすけど、俺怖がられてんじゃないですか?」
「いや、んなこたあねえよ。逆だ。きっとあいつは喜ぶからよ」
「……そうっすか?」

兄のトムさんが言うなら、そうなのかもしれない。
それなら俺も嬉しいんだけどな、とぼんやり思いながら振り返る。
駅の人波にもうちゃんの姿は見えなかったが、幽の顔と並んでなぜかあの子の顔が思い浮かぶ。
またそのうち会いたいような気がした。


トムさんの妹   10.3.3